心意雑感 

サイコロネットメールマガジンに掲載された、心に関する雑感です。

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No161〜No170

 

「事実とは何か1」     平成19年9月8日 第161号に掲載

 山口県光市・母子殺害事件で、被告の元少年の弁護士がタレントとしても活動する橋下徹弁護士にテレビ番組の発言で業務を妨害されたとして、損害賠償を求め訴えたことがワイドショーでも盛んに採り上げられています。どちらが正しいのか法律的な解釈はわかりませんが、この事件の中で事実とは何かということを考えさせられました。

 この事件は、当時18歳の少年が山口県光市の社宅に強姦目的で押し入り、女性を殺害した上で屍姦し、傍らで泣きやまない娘を床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させ、居間にあった財布を盗んで逃走し逮捕された、というものです。この事件は、残虐なものであったこと、加害者が犯行当時18歳30日であったため、死刑を科すことへの賛否が分かれたこと、被害女性の夫が強く死刑を求め、マスコミに度々登場したこと、弁護団の弁護手法に批判が起きたこと、で注目を集めていました。

 今回の差し戻し控訴審で、弁護側が法廷で主張したことは次のようなことです。
・被告は、中学1年のときに自殺した母への人恋しさから被害者に抱きついた。
・甘えてじゃれようとしたので強姦目的ではない。
・騒がれたために口をふさごうとしたら誤って首を押さえ窒息死させた。
・死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。
・長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった。
・どちらも殺意はなく、(殺人より罪が軽い)傷害致死罪に当たる。

 もし仮に、私たちカウンセラーがこの被告の元少年と面接し、このような主張を受けたとしたら、共感的理解をもって一生懸命元少年の話しを聴くでしょう。それは、たとえ元少年が嘘をついていることが明かであったとしても同じです。元少年の話しを事実として受け止めるからこそ、元少年を受け容れることができるのです。疑いの目で見てしまっては話しを聴くことはできないのです。それは弁護士も同じでしょう。では、事実と受け止めるならば、今回の弁護側のように、第三者に対しても事実であると主張できるのでしょうか。ここに事実についての本質が隠されていると思います。

 私たちが事実として話しを聴くというのは、そのクライエントの世界の中での事実であり、客観的な世界での事実とはまったく違うのです。個人の経験の中で事実と感じることは、あくまでも個人の事実なのです。外界から受ける刺激を認知するときに、私たちは価値観や過去の経験、性格などの影響を受けて、事実に価値を加えて判断する仕組みがあるために、それは仕方がないことなのです。だから、同じできごとを経験したとしても、事実は一人一人違うのです。
(佐々木)



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「事実とは何か2」     平成19年9月24日 第162号に掲載
                                      

 私たちは外界のできごとをありのままに受け容れているわけではなく、一種の心のフイルターを通して受け容れています。それはサングラスのように事実を色づけしてしまうこともありますし、また、事実を歪めてしまうこともあります。本来の事実をありのままに知ることは容易なことではありません。

 このメールマガジンの発行部数は3,000部ほどですが、本当に3,000部発行されているのでしょうか? 単に3,000部発行されていると思い込んでいるだけではないのでしょうか? それが事実であることをどうやって知ったらいいのでしょうか? とりあえずは、メルマガの発行システムからの情報を信じれば、3,000部発行されたということになります。もし、それを信じないとすれば、3,000部どころか、本当に発行されたかどうかさえも怪しくなります。しかしながら、たとえ信じなかったとしても、発行されたか発行されなかったかというどちらかの事実は外部に厳然と存在しています。つまり、どうやって外部の事実を正しく認識できるかということがとても重要なのです。

 皆さんがこのメルマガを受け取って読んだとすれば、皆さんは何部発行されたのかはわからなくても、少なくとも1部は発行されたということがわかります。でも、私にはそれを知ることができません。私が知ることができるのは、私が原稿を書き、メールで発行システムに送り、発行してくれるように依頼したというところまでです。ここまでは私の直接知ることができる世界です。

 たまたま、今回ある読者から心意雑感についての感想を送っていただきましたが、これによって少なくともこの読者はメルマガを受け取ったことが確認できました。では、読者からの投稿を受け取ったらなぜ、メルマガが発行されたと言えるのでしょうか。そこには論理的に筋が通っているという科学的なものの見方が存在しています。メルマガを受け取っていないのに、メルマガに掲載された心意雑感を読んで感想を送るなどということは不可能だからです。この論理性というのは自然界の法則であり、すべての人に共通していますので、論理の正しさを積み上げて本当に正しいことを知ることができます。論理的に正しいものは信用してよいし、論理的に正しくないものは信用してはならないという基本姿勢が前提として存在しているのです。

 なぜ、このように当たり前のようなことを長々と論じたのかと言うと、一見当たり前のようなこの前提が崩れているために、事実が歪められているという現実があるからです。論理的に正しいものを信じず、論理的に正しくないものを信じてしまうことこそが、心のフィルターとなって外界の事実を色づけ、歪めて受け取ってしまう原因になっているからです。(佐々木)



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「事実とは何か3」    平成19年10月6日 第163号に掲載

 さて、山口県光市の母子殺害事件に話しを戻しますが、被告の少年本人がもし「強姦目的ではない。口をふさごうとしたら誤って首を押さえ窒息死させた。死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。長女は泣きやまないので首にひもをまいてリボンの代わりに蝶々結びにしたら死んでしまった。どちらも殺意はない。」と主張したのであれば、私たちがどんなにそれが信じられなくても、本人の世界の中では事実なのです。例え本人に嘘をついているという自覚があっても、それを含めて事実なのです。

 個人の世界の中での事実は、もちろん普遍的な事実とは違います。では、裁判がおこなわれて、裁判官が出した結論が普遍的な事実なのでしょうか?もちろんそんなことはありません。この結論も普遍的な事実ではなく、裁判官個人の世界での事実です。それが証拠に、裁判官によって意見が分かれることがあり、また、事実を誤って認定する冤罪が時々起こることがあります。もちろん裁判官は自分の世界の事実をそのまま当てはめようとしているわけではなく、様々な証拠に基づいて普遍的な事実を導こうと努力しています。しかしながら、証拠を採用するかしないかも心証という裁判官の個人的な思い、つまり個人の事実に影響されてしまいます。

 私たちが他人を批判するときには、相手の事実と自分の事実、あるいは自分が考える普遍的な事実と比較して、その違いを追求しているのです。相手が考える普遍的な事実と自分が考える普遍的な事実の違いを摺り合わせるのは、議論ということになります。カウンセリングでは、クライエントを批判したり、議論をするのではなく、話しを聴くわけですが、話しを聴くというのは、実は相手の話を個人の事実として受け容れるということなのです。カウンセラーとしての個人の世界、それはすべて個人の事実の集合体ですが、その中にクライエントの個人的な事実による世界を作っていくという作業が話しを聴くということにほかなりません。

 ただ、話しを聴くことによってカウンセラーの個人的世界の中に生まれるクライエントの世界が、必ずしもクライエント個人の世界と一致するとは限りません。だから、クライエントの事実を誤って認識しないように、確認したり、質問したりしながら、クライエント個人の世界と一致するように気をつけるわけです。これが正しいコミュニケーションということで、カウンセリングの一側面です。

 しかし、どんなに正しいコミュニケーションによっても、クライエントの事実すべてを完璧に認識することはできません。カウンセリングは、話しを聴くことを通してクライエントの世界を理解していくという過程に過ぎないのです。話しを聴いて、あるいはカウンセリングを通してクライエントを理解したと思うのは思い込みに過ぎません。限りなく理解していこうという姿勢はあっても、理解し尽くすことはできないのです。(佐々木)


 


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「事実とは何か4」    平成19年10月24日 第164号に掲載

 真実というものが存在するとしても、それを本当に正しく知るということはとても困難なことです。100%正しく知ることは不可能だと言っても過言ではありません。「百聞は一見にしかず」ということは、他人から聞いたことは誤りが多くなる可能性が高いことを示していますが、それはバーバル、ノンバーバルという媒体を通すので当然です。ここで正しいコミュニケーションがおこなわれなければ、容易に誤解が生じます。

 では、直接見たことは正しいのかというと、決してそうではありません。私たちは物事を目で見、その情報を脳で処理して判断を加え、認知するという仕組みがあるため、この途中で誤りが起こる可能性があるのです。錯視、幻視などがそれで、本人は事実そのものだと認知しても、普遍的な真実とは違うことがあるのです。五感を通して得られた情報は皆同様の錯覚、幻覚が起こり得ます。さらにやっかいなのは、認知の歪みという物事の受け取り方、考え方の癖により自分の都合のいいように、自分の世界の事実として組み入れてしまう働きがあることです。個人の世界の事実と普遍的な真実とは必ずしも一致しないのです。もちろん、他人同士の世界の事実は、一致することの方が希でしょう。

 カウンセリングというのは、クライエント個人の世界の事実を正しく知ろうとして話しを聴くのであって、普遍的な真実を知ろうとして話しを聴いているのではないことをまず押さえる必要があります。そして、偏見や認知の歪みによって誤った受け取り方をしていないか、思い込みではないか常に確認をしながら正しく個人の世界の事実を理解する必要があります。これは話しを聴くという技術でもありますが、ここまでがコミュニケーションとしてのカウンセリングです。

 カウンセリングには、もう一つ心理療法(サイコセラピー)としての側面があります。個人の世界の中では、信じている事実が普遍的な真実と違っていたり、大多数の人が共通して信じている事実、つまり常識と違っていたりすることによって、葛藤が生じる場合があります。その葛藤を取り去るのが心理療法の役割です。簡単に言えば、パーソナリティに問題があって悩みを生じている場合に、パーソナリティーを変えることによって、悩みを解決するということで、最終的には必ず認知の歪みが矯正されているという変化が生じます。悩みを解決する、問題を解決するという点では同じであっても、これがコンサルティングとは異なる点です。

 カウンセリングや心理療法と言われるものには非常に多くの技法があって、コミュニケーションの要素と心理療法の要素の割合も異なります。コミュニケーションとしての要素が大きく、心理療法としての要素が弱い例がロジャースの来談者中心療法であり、コミュニケーションの要素が弱く心理療法の要素が強い例が箱庭や絵画療法などということになるでしょう。(佐々木)


 


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「事実とは何か5」     平成19年11月7日 第165号に掲載

 少し脱線しますが、カウンセリングや心理療法(サイコセラピー)については、一般的にかなり誤解されているようです。あるホームページでは、次のように説明されていました。「セラピーやカウンセリングは、主に、現在抱えている問題を解決するために使われます。そのためにカウンセラーやセラピストは、その問題が生じる原因を探るため、クライアントとともに過去を振り返り、さまざまなことがらについて深く掘り下げていきます。」

 これは明かな間違いです。原因を探る心理療法も確かに存在しますが、過去には触れず、原因を探ることをしない問題解決型の心理療法も存在します。また、現在主流としておこなわれているカウンセリングは、問題解決する力は本人が持っているということを信じる、傾聴を主体とするものであり、話しを聴くのは過去の原因を探っているわけではなく、過去にこだわる現在の感情を聴いているのです。未来志向型の心理療法もあり、これは、現在の問題や現在の感情をも問題としないものです。カウンセリングや心理療法をどのようにおこなうかで定義づけをするのはそもそも無理があるのです。

 カウンセリングは、正しいコミュニケーションによって心のエネルギーのレベルアップ(一般的にはカタルシス:心の浄化と言われています)を目的とし、心理療法はパーソナリティーの変容を目的とすると定義づけするのが、今の私には一番しっくりきます。ただ、カウンセリングが心のエネルギーのレベルアップを目的としていても、その過程では気づきや洞察が起こってパーソナリティーの変容が起こりますし、心理療法がパーソナリティーの変容を目的としておこなわれるとしても、コミュニケーションを利用しなければ心理療法もおこなうことができないのですから、カウンセリングの要素が自動的に含まれます。このようにカウンセリングと心理療法は融合している面があります。

 クライエントから相談があった場合、まず、正しいコミュニケーションをとることが必要です。そして心のエネルギーを与えることが必要ならば傾聴し、パーソナリティーの変容(行動・考え方・感情の変化)が必要ならば心理療法をおこなうのです。さらに私の場合には、専門的な情報の提供が必要であればコンサルティングをおこない、心のリハビリが必要であればそれなりのトレーニングをおこないます。つまり、クライエントが必要としていることを判断し、それを提供することが一番大切だと考えています。(佐々木)


 


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「事実とは何か6」   平成19年11月24日 第166号に掲載

 2006年度に全国の小中高校が把握したいじめの件数は約12万5千件で前年度の6倍になったことが16日の新聞に報じられました。これは文部科学省のいじめの定義が変わったことが大きな要因です。すなわち、これまで「一方的、継続的な攻撃を受け、深刻な苦痛を感じているケース」をいじめと認定していたものを「生徒がいじめを受けたと感じたケース」を原則的にいじめと認定することにしたことによります。では、「生徒がいじめを受けたと感じた」ということはどういうことでしょうか。これはいじめを受けた生徒の個人的な事実に他なりません。

 生徒をいじめの苦痛から救うためには、生徒の個人的な事実を受け容れることが必要ですが、定義の変更を手放しで喜んではいられません。国の定義を変えるということは、世間一般の常識が変わってしまう可能性があります。世間一般の常識というのは、大多数の人が普遍的な事実と信じていることですから、個人の世界の事実が普遍的な事実として置き換わってしまうという可能性があるのです。

 いじめというのは、いじめられる側だけが存在しているのではなく、必ずいじめる側も存在します。つまり、いじめにはいじめられる側の事実だけでなく、いじめる側の事実もあり、本来それは違っていて当然なのです。しかしながら、いじめられる側の事実が普遍的な事実と思われてしまうと、いじめる側の事実がどこかに行ってしまう可能性があるのです。ちょっと難しくなってしまいましたが、事実を「言い分」と置き換えてみるとわかりやすいと思います。

 いじめられた側の言い分が普遍的な事実として受け容れられると、いじめた側の言い分は事実としては受け容れられなくなる可能性があるということです。たとえば、気に入らない相手に対して実際は何もなくても、いじめられたと訴えたり、ちょっと意見を言われただけでそれをいじめと訴えた場合でも、いじめと認定されてしまうのですから、訴えられた相手は、本当はいじめをしていなくてもいじめをしたと認定されてしまう可能性が高まってしまうのです。

 つまり、いじめられた側の言い分は十分受け容れなければなりませんが、同時に、それは普遍的な事実ではないということを認識しておかなければならないということです。それは、いじめた側についても同じことで、いじめた側の言い分は十分受け容れなければなりませんが、それと同時に、それは普遍的な事実ではないということを認識しておかなければならないのです。

 「実際の件数は調査結果よりもっと多い」という指摘もありますが、これは傍から見て十分いじめられていると思われる場合でも、本人がいじめと感じていない場合や、いじめられていると訴えなければ、いじめには認定されないのですから当然考えなければならないことです。定義を変えても、普遍的ないじめの事実を完全に把握したわけではないのです。

 最も大切なことは、いじめられている生徒を救うためには、いじめられている生徒の個人的な世界の事実を受け容れることが必要であり、いじめている生徒にいじめをやめさせるためには、いじめている生徒の個人的な世界の事実を受け容れることが必要だということです。普遍的な事実はわからないという前提に立って考えなければ、誤ってしまうということです。(佐々木)


 


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「事実とは何か7」   平成19年12月8日 第167号に掲載

 普遍的な真理としての事実は一つだけ存在しますが、これに対して個人の世界観の中での事実は個人の数だけ存在します。従って、個人が普遍的な真理として信じていることも個人の数だけ存在します。それは一人一人違うものです。ただし、ある特定の一部だけを捉えれば共通していることもあります。これが常識と言われるものです。しかしながら、常識は個人の世界観の中での事実であることに変わりはなく、普遍的な真理と必ずしも一致しているとは限りません。常識は時代とともに変わりますし、国によっても、地域によっても、家によっても違うことがあります。常識は普遍的な真理とは違うことをしっかりと認識しておかなければならないのです。

 私たちはこの常識や個人が普遍的な真理として信じていることに照らし合わせて、相手の話を判断し評価します。それは普通のことなのですが、その習慣が身についてしまっているために、判断せず、評価せずに、相手の話をその相手個人の事実としてそのまま受け容れることが難しいのです。カウンセリングが誰でも簡単にできるものではないということは、このような理由があります。判断や評価をせず、ありのままの相手の事実、つまり価値観を受け容れることができるように自分を変えていくことがカウンセリングの体験学習です。カウンセリングに必要なのは、常識にとらわれず、自分の価値観にとらわれず、相手の価値観をありのままに受け容れる姿勢なのです。

 殺人事件の被告の少年と相対したとき、常識や、殺人は決して犯してはならないという自分の価値観をもって見れば、それだけで少年の心が見えなくなってしまいます。本当の気持ちも本当の動機も霞んでしまいます。常識や他人の価値観でははかれない少年個人の事実の世界、つまり少年個人の世界観、価値観があるはずですが、これを歪めて理解することになってしまうのです。これでは少年を本当に更正させることはおぼつきません。裁判によって公正に罰が下されたとしても、それによって少年が立ち直るとは言えないのです。犯罪者の再犯率が非常に高いのはこれを物語っています。

 カウンセリングにおいても、常識やカウンセラー個人の価値観を捨てずにおこなえば効果がありません。とは言っても、私たちは完全に常識や個人の価値観を捨て去ることができません。どこまで捨てられるのかというのが、カウンセラーの実力ということになるのでしょう。(佐々木)


 


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「今年の総括」    平成19年12月21日 第168号に掲載

 毎年、新年の最初の号で抱負を述べるのがこのところ通例となっていましたが、今回は年末に当たり、今年の総括と来年の抱負を述べたいと思います。

 サイコロネットは平成13年に設立され、来年8年目を迎えます。設立当初は、(財)日本カウンセリング・センターの先生にお願いし、カウンセリングの勉強をおこなうことが中心でした。この勉強会はカウンセリング学習会として毎月続けられ次回で第80回目となります。その後、定例研究会(臨床心理講座)と実践カウンセリング講座もおこなわれるようになり、会員の実力向上とともに一般の方にもカウンセリングについて勉強していただく機会になっています。

 サイコロネットの設立主旨は、カウンセリングを受けたくてもなかなか敷居が高く受けられない人に、質の高いカウンセリングを受けてもらえるようにすることです。その敷居はカウンセリングをする側、受ける側の双方に存在していますが、その敷居を下げるような活動をおこなって、双方の出会いの場となれればよいと考えています。

 5年前からおこなっている無料メール相談がその入り口となるものです。現在は月に10〜20件の相談を受け付けていますが、来年にはメールカウンセラーの数も大幅に増やし、受け容れ件数の増大にも対応する予定です。この相談が他の機関と大きく異なるところは、単に一時的に悩みを聞いて暖かい言葉をかけるに止まらず、相談者が最終的に自立できるところまで、責任を持ってケアすることを最終目的にしていることです。

 相談内容や相談者によって、一回のメール相談で解決する場合もありますが、問題解決にはかなり時間がかかる場合もあります。また、病院へ行かなければならない場合もありますし、心のトレーニングをしなければならない場合もあります。相談者は問題解決のためにお金を払える場合もありますし、払えない場合もあります。これらの一つ一つのケースに応じて、最終的に相談者が悩みを解決し、カウンセラーを必要としないところまでケアができればよいと考えています。

 これを実現するために、9月にはNPO法人の申請をおこない、来年早々には認可の見込みです。また、メールカウンセラーの養成事業もおこなっていますが、勉強した人たちにメール相談の回答を依頼できるようになってきました。来年は無料メール相談・メールカウンセリングを本格的にPRし、活動範囲を広げていきたいと思っています。本当にクライエントのためを思うカウンセラーや医師のネットワークを作りたいと考えています。(佐々木)



 

以降の雑感は下記よりご覧ください。

http://blog.mag2.com/m/log/0000074874


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