|
サイコロネットメールマガジンに掲載された、心に関する雑感です。
|
|
〜20号 〜30号 〜40号 〜50号 〜60号 〜70号 〜80号
〜90号 〜100号
〜110号 〜120号 〜130号 〜140号 〜150号 〜160号 〜170号
|
No151〜No160
|
| 「いじめについて考える7」 平成19年4月6日 第151号に掲載
サイコロネットでいじめについて昨年の11月に独自にアンケート調査をおこないましたが、その結果は次の通りでした。回答者数は1442人
いじめにあったことがある 51.5% いじめにあったことがない 48.5%
小学校でいじめにあった 31.2% 中学校でいじめにあった 24.2% 高校でいじめにあった
7.6%
いじめをしたことがある 36.2% いじめはしたことがない 63.8%
小学校でいじめをした
21.3% 中学校でいじめをした 13.2% 高校でいじめをした
3.7% いじめにあったこともいじめをしたこともない 38.4% いじめにあったこともいじめをしたこともある 21.8% いじめをしたことのある人のうちいじめられた経験のある人の割合 69.5%
この結果では、半数以上が学校でいじめにあったことがあると答えています。また、「いじめをしたことがある」と答えたのは36.2%で、大勢で一人をいじめるケースが多いことを考えると、自分ではいじめているつもりがなくても、いじめられたと感じる人が多いことを表しているのかもしれません。また、このようなアンケート調査では、「いじめられた」「いじめをした」ということは自尊心を傷つける経験であり、正直に言えない場合もあるでしょうから、数値は少な目に出るのではないでしょうか。
「いじめにあったこともいじめをしたこともない」のは38.4%です。つまり、いじめに無縁であったのは約1/3ということになります。ただし、傍観者であってもいじめの被害者からみれば加害者と同じに見えることがありますから、実際にはいじめとまったく関わりのない人の割合はもっと少ないはずです。
「いじめをしたことのある人のうちいじめられた経験のある人の割合が約70%であるのも注目すべきです。やられたらやり返すという傾向が伺われます。簡単なアンケートですが、他の調査の結果とも傾向が一致しています。(佐々木)
|
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える8」 平成19年4月23日 第152号に掲載
4月18日、アメリカ バージニア工科大学で33人が死亡し、29人が負傷するという米国史上最悪の銃乱射事件が起こりました。銃社会の是非は置いておくとして、今回は「いじめ」の部分について考えてみましょう。このケースは、いじめられた者が、いじめ返すということの究極のケースです。日本でも、いじめられていた者が仕返しをして、いじめたものをナイフで刺すという事件はときおり起きています。
銃乱射事件のケースでは犯人に人格障害があったようですが、周囲からいじめを受けていたことも確かなようです。犯人は犯行声明で次のように述べています。「お前たちは私をいじめながら楽しんだ。お前たちの快楽のおかげで私は頭に癌のかたまりでもできたかのような痛みを覚えたし、心臓はズタズタに切り裂かれ、いまだ私の魂を食い殺している。お前たちはおれを追い詰めた。」
実際にどのようないじめを受けたかは定かではありませんが、犯人がこのようにいじめを受け取っているというのは彼にとっての事実です。一般には大したいじめと思われなくても、彼にとっては何人もの人を殺害するに値する痛みを感じたのでしょう。もしかすると世界中の人を殺してもまだ足りないほどだったかもしれません。このことがとても重要なことなのです。
私たちの目からは、すべてを他人のせいにし、人を尊重せず、生命を軽んじ、妄想が強い人格障害だと見えますが、このような私たちの価値観で彼を見ている限り、彼を理解することができず、彼の犯罪を未然に防ぐことはできないでしょう。「自分の責任についても考えなくちゃダメだ。人の権利も尊重しなくちゃ。命を大切にしなくちゃ。それは妄想だよ。」などという意見を言っても、彼の価値観とは相容れず、決して彼はその言葉に従うことはないでしょう。
このような意見が効果を持つのは、彼がそのような価値観を持っているか、その価値観を受け容れようとしている場合に限ります。人格障害があるかないかは関係ないことです。彼がどのような価値観を持っているかを理解し、その価値観の中から対応を考えていかなければ、彼には受け容れることができないのです。いじめ問題も犯罪問題も基本は同じです。画一的な対策方法は一部の人には有効でも、大多数の人には無効です。一人一人の個性や状態に応じて対策を考えなければなりません。その第一歩がその人を理解するということではないでしょうか。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える9」 平成19年5月7日 第153号に掲載
最後にいじめを心のエネルギーの観点から考え、締めくくりたいと思います。心のエネルギーは個人的なものですから、いじめる側、いじめられる側、傍観する側などに分けて考える必要があります。
まず、いじめる側ですが、いじめという行為によってエネルギーレベルが相対的に上がっているのが共通しています。相対的というのは、直接エネルギーレベルが上がる場合もありますし、いじめという行為をしなければエネルギーレベルが低下してしまうので、それを防ぎ、現状維持して間接的にエネルギーレベルを上げるということもあるからです。自分ではまったく意識していないのに相手や周囲からいじめとみなされることもあります。発達障害を持っている場合、文化の違いなどでしばしばみられますが、この場合にはエネルギーレベルが上がるということは必ずしも言えません。
いじめの定義にある「自分より弱い者に対して一方的に」というのは、もし相手から反撃されれば、それによってエネルギーが奪い取られてしまうので、いじめによってエネルギーレベルを上げようとするなら、当然のことです。もし反撃されれば、「いじめ」ではなく「喧嘩」もしくは「いじめ合い」ということになります。相手から反撃されたり、周囲から批判されたりしてエネルギーレベルが下がれば、その「攻撃」は意味を持たなくなります。
相手の方が強くて反撃の恐れがある場合、周囲からの批判が予想される場合には、わからないように陰で嫌がらせをすることがあります。落書き、無言電話、掲示板やブログへの誹謗中傷の書き込みなど、本人が特定されないように攻撃がおこなわれます。厳密ないじめの定義に当てはまらなくても、エネルギーの観点ではまったく同じことです。相手のエネルギーレベルが下がることを予想し、それによって自分のエネルギーレベルを上げようとします。このような陰湿ないじめ、いじめ合いも最近のいじめの特徴ではないでしょうか。
いじめの2番目の定義である「身体的・心理的な攻撃を継続的に加え」というのは、身体的・心理的な攻撃によって相手の心のエネルギーレベルが下がり、それを受けて、いじめた側のエネルギーレベルが上がるからです。喧嘩の場合には相手の攻撃をやめさせるのが目的になっていますから、戦意喪失して相手のエネルギーレベルが下がればそれ以上の攻撃をしないのが普通です。しかし、いじめの場合には、自分のエネルギーレベルが上がる限り継続しておこなわれます。
つまり、いじめる側はなんらかの理由により、本来のエネルギーレベルよりも低い心のエネルギーレベルにあり、その穴埋めをするためにいじめという行為を選んでいるということができます。いじめっ子は、家庭や学校や友人関係などで継続して心のエネルギーをすり減らす状態にあり、そのエネルギーを取り戻す方法として「いじめ」という方法しか見つけられない心の状態にあるのではないでしょうか。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える10」 平成19年5月23日 第154号に掲載
いじめを受けている人がエネルギーを奪われてしまうのは当然です。本当はエネルギーを奪われているわけではなく、自分自身でエネルギーを流さないようにしているだけですが、傍からはエネルギーを奪われたように見えるので、便宜上エネルギーを奪われたと表現します。
嫌な思いをしてエネルギーを奪われることが度重なりますと、エネルギーの回復が間に合わなくなり、エネルギーレベルが低い状態に固定されてしまいます。継続しての嫌がらせが文科省の「いじめの定義」の条件になっていますが、エネルギーレベルが下がってしまい、本来できることができなくなってしまうことが問題になるからではないでしょうか。勉強ができなくなってしまう、学校へ行けなくなってしまう、他人とのコミュニケーションがうまくとれなくなってしまうなどという弊害です。
エネルギーレベルが下がってしまうと、それ以上のエネルギーダウンをくい止めることで手一杯になってしまいます。いじめに反発すると、さらにひどいいじめを受けてエネルギーレベルがさらに下がってしまいますので、これを防ぐために反発できず、なすがままになることが多いのです。これはじり貧になるのですが、さし当たりの大きなエネルギーダウンを避けています。逃げ出すことができればいいのですが、一方では勉強しろ、学校へ行けという圧力がありますので、なかなか学校を休むこともできません。休むと罪悪感によってエネルギーダウンします。身体が本当に言うことをきかなくなったり、頭痛や腹痛を起こして休むことがありますが、これが心身症です。ちゃんとした理由があるので、罪悪感を感じずに休めるわけです。
いじめ自殺がときに問題になりますが、いじめから逃げられず、エネルギーレベルが極端に下がってつらい状況が続くと自尊心も失われてしまいます。絶望的な状況の中から逃げ出すためには、自らの死しか方法がないと思うようになってしまうのでしょう。また、絶望的な状況を破壊するために、いじめの相手を殺そうとすることがありますが、現状を壊して逃れるためには、いじめの相手を殺すしかないと思うようになってしまうからでしょう。
いじめから逃れるために転校するということがありますが、それによって、いじめられなくなることもあります。これに対して、「いじめている側が悪いのに、悪いものを追い出さず、悪くないいじめられる者が転校しなければならないのはおかしい」などという意見がありますが、エネルギーの観点から考えればまったくナンセンスと言わなければなりません。
いじめを悪いことだと教えることはとても必要なことだと思いますし、犯罪にまでエスカレートしないように対策しなければならないのは言うまでもありません。また、犯罪を起こしてしまったり、あるいは、一般の子供たちと一緒に教育するのが難しいことがわかったら、一般の子供たちと別に教育することも必要なことです。だからといって、いじめられている子供がそのまま学校に残ればいいということにはなりません。いじめられている子供に対して、苦痛を緩和し、それ以上エネルギーレベルを下げないという対策がまず優先されなければならないことです。転校というのは、この一つの方法なのです。まず、この対策をした上で、次にいじめている者や傍観している者をどうするかを考えなければならないでしょう。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える11」 平成19年6月7日 第155号に掲載
最後に周囲人の心のエネルギーの動きがどうなっているかを考えましょう。いじめを知ったときに、周囲の人がどのような態度をとるか、四つの立場が考えられます。(再掲)
1)自ら先に立っていじめるわけではないが、被害者を押さえつけるなどして、いじめっ子を「補佐」し、一緒になっていじめる。
2)いじめられている状況を見て笑ったり、はやし立てたりして、「野次馬」として振舞う。
3)自分がいじめに巻き込まれたくないので、「第三者」として振る舞い、何もせず気付かない振りをする。
4)いじめをやめるよういじめっ子に言ったり、先生を呼びに行ったりしていじめに立ち向かい、被害者を慰め、支える。
1)は、いじめをしているのとまったく同じです。いじめっ子に便乗して、いじめをすることで心のエネルギーを得ています。率先していじめをするのは、罪悪感がエネルギーを奪うのでブレーキがかかっていますが、誰かがいじめ始めれば、罪悪感が薄れ、いじめに荷担してしまうわけです。ゴミを捨ててはいけない場所で、一旦誰かがゴミを捨てると、次々にゴミが捨てられるようになりますが、これと同じ心理です。
2)は、いじめに荷担しないまでも、いじめを楽しんで心のエネルギーを得ていますので、いじめをしているのと同じです。直接手を下すのは罪悪感によってエネルギーを奪われますから、罪悪感を感じない範囲内で相手を攻撃して、それによってエネルギーを得ているということです。
3)は、もっとも多いパターンでしょう。いじめはいけないことだと思っており、4)のようにいじめに立ち向かっていかなければならないこともわかっていますが、勇気がなくてできません。もしそれをすると、自分自身がいじめられてしまったり、冷やかされたりという何らかのエネルギーを奪われることを怖れるのです。もちろん、いじめに荷担すれば罪悪感によってエネルギーを奪われますから、それはできません。しかし、いじめに対して立ち向かわなかったことでも罪悪感を感じる人がいます。つまり、心のエネルギーのレベルアップをはかるために行動しているのではなく、エネルギーを少しでも失わないように行動している人たちなのです。
4)は、いじめをなくすために最も望ましい行動パターンです。いじめを注意したり、先生に伝えたり、あるいは被害者を慰め支えることで満足感が得られますし、いじめが止めばさらに満足感が得られます。つまり、エネルギーレベルがアップします。また、自分自身がいじめられてしまったり、冷やかされたりという、エネルギーを奪われることを怖れません。実際にエネルギーレベルも高いはずです。正義感が強く、もし何もせずにいると、罪悪感を感じエネルギーが奪われるので、これが後押ししている人もいるでしょう。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える12」 平成19年6月23日 第156号に掲載
いじめをなくすためには、どうしたらいいのかということについて、心のエネルギーの観点から考えることができます。いじめをしている子供に対しては「いじめをしてはいけない」と言い、いじめられている子供に対しては「いじめを受けたら、すぐに先生や親に言いなさい」と言い、いじめを見たり聞いたりした子供に対しては「止めに入り、先生にすぐ連絡しなさい」と言って、いじめがなくなるならこんなに簡単なことはありません。
このような指導をすることでいじめ対策だと思っているのならば、それは大きな間違いです。一般的にはこのような指導を強化するだけというケースが多いのですが、それには理由があります。このような指導を強化することによってある程度はいじめが減少するからです。ただ、そこには指導する側とされる側の人間関係が大きく関わってきます。関係が悪ければ、そのような指導は効果を生まないばかりか、逆効果になることさえあります。
それぞれの子供に「こうしなさい」と伝えることは、目標を一方的に与えたに過ぎません。その目標を達成するためには心のエネルギーが必要です。心のエネルギーが十分にあり、先生の言うことを聞こうと思った子供だけが、いじめをなくす方向に動きます。先生との人間関係が悪ければ、先生の言うことを聞こうとしないかもしれません。これはコミュニケーション上の問題です。
今まで説明してきたように、根本的な問題は心のエネルギーが不足したり、エネルギーを消耗することに不安を感じてしまうため、目標に向かっていくことができないことにあります。もし、エネルギーを消耗することに不安を抱かず、実際にエネルギーが十分あり、先生との人間関係が良好であれば、いじめが起きてもすぐにいじめをやめさせる方向で力が働き、いじめはなくなるでしょう。
ただ、なぜ心のエネルギーが不足しているのかは、一人一人違っていますから対策も簡単ではありません。エネルギーを消耗させている原因が家庭にある場合には、学校でその原因をなくすことは困難です。できることに限界はありますが、基本的にはエネルギーを与えること、つまり勇気づけをおこなうこと、自らエネルギーを作り出せるようにすることが必要です。これはいじめにかぎらず、悩みを抱えている人に対するカウンセリングのスタンスです。いじめをなくすためにもカウンセリングは有効だということです。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える13」 平成19年7月7日 第157号に掲載
いじめをなくすには、まず、いじめというのはいじめる側といじめられる側の関係の一つであることに注目すれば、その関係を断つということが考えられます。ストーカーの裁判で、被告人は被害者の1キロメートル以内に近づいてはならない、などという判決が下されるのがこの例です。また、いじられる側が転校するというのもそうですが、転校には大きな物理的・心理的な負担がかかりますし、転校そのものが新たないじめの原因になることもあるのですから、まず、いじめている側を離すことを考えるのが自然です。発達障害が原因でいじめを引き起こすことも多いのですが、最近はこの発達障害についても認知されるようになり、特別支援教育も実施されるようになりましたので、早めに見極め、対処できるようになってもらいたいものです。
いじめっ子が軽度発達障害の場合は、いじめっ子を特別なクラスに入れたり、補助教員を付けて物理的にいじめられている子と離すだけで、いじめが収まることが多いものです。なぜなら、軽度発達障害を持つ子供の場合は、いじめをしようと思っていじめているわけではなく、コミュニケーション能力の不足から、いじめているように受け取られてしまうことが多くあるからです。むしろ、いじめによって心のネルギーを得ようとしている子供の方が問題です。クラスを変えて
も、学校を変えても、しつこくつきまとうことがあるからです。いじめの被害者が帯電話やメールによって脅かされ、呼び出されるということも起こります。
いじめの原因が心のエネルギーを得るためである場合には、いじめている者に対し、とりあえず勇気づけなどによって心のエネルギーを高めてあげること、周囲の状況やできごとによってエネルギーを消耗しないような心を作っていくことが必要です。これがいじめっ子にいじめをさせなくする最も根本的な方法です。この場合は、家庭や学校で心のエネルギーを消耗する状況があり、その穴埋めとしていじめを選択していると考えることができますので、エネルギーを消耗する状況が改善できるのであれば改善し、失っているエネルギーをいじめによらなくても埋められるよう、勇気づけをするということです。これは、実はカウンセリング、セラピーをするということとまったく同じことです。
心のエネルギーを与えることをせずにいじめをやめさせようと働きかけると、様々な弊害が起こることがあります。まず、働きかけた先生等との関係が悪くなり、言うことを聞かなくなります。いじめは止まず、わからないように陰湿になったり、いじめ以外の家庭内暴力、非行に走ることもあります。いじめはしてはいけないことだということを理解していないというのであれば、教えることは意味がありますが、そうではないのに、いじめがいけないことだと力説するだけではいじめをやめさせる方向には働かず、返って新たな問題を引き起こしかねません。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える14」 平成19年7月23日 第158号に掲載
いじめられる側についてはどうしたらいいのでしょうか。いじめはいじめる方が悪いのだから、いじめる側だけに働きかければいいという考え方は誤りです。いじめもコミュニケーションの一形態であり、双方がそれを受け容れているために起こります。いじめられる側もいじめられないような努力の方法があるのです。つまり、いじめられている側はいじめを受け容れなければいいのです。泣き寝入りをせず、反発し、自分の力だけでいじめが止まなければ、周囲の友人や教師の力を借りていじめが止むように動けばいいのです。
しかしながら、実際には様々な障害があって、それができないからこそいじめが続いてしまうことになります。性格的に反発できない、仕返しが怖くて反発できない、恥ずかしさや不安などのマイナス感情によって周囲の助けを求められない、などという個人的な問題、周囲の友人が助けてくれない、逆にいじめの側にまわってしまう、教師がきちんと取りあってくれないなどという周りの者の問題もあります。これらの中から改善できることに取り組んでいけばいいのです。反発できなければ反発できるように、周囲の助けを求められなければ求められるように自分が変わっていけるように援助すればいいのです。
ただ、これは「反発しなさい。助けを求めなさい。」と言い聞かせてできるようになるような簡単な問題ではありません。どうしたら反発できるようになるのか、どうしたら助けを求められるようになるのか、一人一人の個性に応じて考えなければならないことなのです。ただ共通項もあります。それが心のエネルギーを与えることです。ことばを変えれば、勇気づけをすることです。これはいじめを受けている人すべてに必要なことです。「反発しなさい。助けを求めなさい」という圧力は最低限に抑え、十分に勇気づけして、後はできるようになるのを待つという姿勢が基本ではないでしょうか。
勉強ができる、勉強ができない、運動が劣る、コミュニケーション能力が劣る、国籍が違う、障害を持っている、肉体的に他の人と違うところがある、生意気だ、などという他の人と違うことを理由にいじめられることがありますが、これは個性に属することです。いじめられないために個性を見せないよう努力する場合もありますが、これは誤りです。逆に、個性で自尊心を失うことがないように勇気づけをしっかりする必要があります。これは、いじめられている人だけでなく、いじめている人、周囲の人、すべての人に対して教育すべきことです。いじめは人間を尊重しないという気持ちから生まれます。まず、人間を尊重する教育が一番になされなければならないのです。人間を尊重するとは、他人を尊重するとともに自分自身を尊重することです。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「いじめについて考える15」 平成19年8月6日 第159号に掲載
最後に第三者についてどうしたらいいのかを考えましょう。第三者であってもいついじめる側に回るか、いじめられる側に回るかわかりません。その意味ではすべての人に共通することでもあります。
「いじめをやめるよういじめっ子に言ったり、先生を呼びに行ったりしていじめに立ち向かい、被害者を慰め、支える」というのは、被害者にとっても嬉しいことでしょうし、いじめをなくすためにもとても重要なことです。みんながこの
ような行動を取れれば、いじめは激減するでしょう。従って、このような行動に対してはさらに勇気づけをして、バックアップするのが良いでしょう。ただ、このような行動をとったがためにいじめられるようになってしまったり、周囲の反感を買うことがあります。このようなことが起こらないよう、周囲に働きかけて守ってあげる必要があります。
自ら率先していじめをおこなわなくても、一緒になっていじめたり、いじめられている状況を見て笑ったり、はやし立てたりして、「野次馬」として振舞う子どもに対してはどうでしょうか。基本的には、いじめることによって心のエネルギーを得ているいじめっ子と同じです。ただ、そこまでエネルギーが不足しているわけではありませんから、他人を尊重していないという態度について強く指導することができます。もちろん、その強さはそれぞれに応じて変えていかなければなりません。
自分がいじめに巻き込まれたくないので、「第三者」として振る舞い、何もせず気付かない振りをする、というのは一番多い行動パターンですが、いじめに立ち向かったり、いじめられている子を助けると、自分も一緒にいじめられてしまうのではないか、冷やかされるのではないかという不安が根底にあります。勇気がなく行動できないわけですから勇気づけがまず必要です。その上で、いじめは許されない行為であり、勇気をもって行動しなければならないことを指導することが必要です。
どうしたらいじめをなくせるかということについては、いじめは悪いことだという善悪の問題だけでなく、コミュニケーションの問題であること、そして、いじめる子、いじめられても我慢する子、傍観する子、それぞれが自分の心のエネルギーを減らさないように、相対的に増やそうと努力する結果であることを考えて対策しなければならないものと思います。自分を尊重すること、そして同時に他人を尊重することが実現すれば、いじめはなくなります。ぜひ、学校でもこの教育をおこなってもらいたいものです。(佐々木)
|
********************************************************************
|
|
「オーム返し」 平成19年8月22日 第160号に掲載
ロールプレーをやっていてオブザーバとして時々気になるのは、カウンセラーのオーム返しのことばです。クライエントのことばを繰り返して言うわけですが、タイミングよくオーム返しがおこなわれればクライエントの話しは深まって効果的です。ただ、逆効果になっているケースがよく見受けられ、これが気になるわけです。これは、「繰り返し」という一つの固定化した技法が使えなければカウンセラーの試験に合格しないということがあるために、ときどき使ってみるという習慣が身についてしまっているのが原因のようです。では、どういうときにオーム返しをし、どういうときにオーム返しをしないのがよいのでしょうか?
メールカウンセリングの添削指導をしているときにも、同様のことを感じます。メールの場合には、クライエントのことばを引用して繰り返したところで、面接のときのような話しを引き止めたり、深めたりという効果はありません。長い文章を要約したり、次に続くことばの前置きとして引用する意味はありますが、どうやらオーム返しをすれば相手の気持ちを受け止めたことになるのだという思い込みでオーム返しをしてしまうようです。
面接中にクライエントが「トイレに行きたいんですが」と言ったとしましょう。そこで「トイレに行きたいんですね」とオーム返しをしたり、「我慢しているんですね」などと気持ちを受け止める人はいないでしょう。きっと、「どうぞ、行ってきて下さい」とか「そこを右に曲がったところにありますから、どうぞ」などと応えることでしょう。これはなぜでしょうか?
それは、クライエントがことばにしていなくても、「トイレに行ってもいいですか?」、「トイレはどこにありますか?」と言いたい気持ちを汲み取るからではないでしょうか。だから、渋滞している車の中での「トイレに行きたいんですが」ということばに対しては、「もう少しで着きますから、我慢してくださいね」などということばになるでしょう。尿道の手術か何かをして医者からしばらく排尿を禁じられていたとすれば、「つらいでしょうね。頑張って下さいね。」などということばになるでしょう。
つまり、「トイレに行きたいんですが」ということばに対して、機械的にオーム返しにしたり、機械的に「どうぞ、行ってきて下さい」と応えることは、相手の気持ちを無視した応答ということになります。ことばになっていない気持ちも含めて、本当の相手の気持ちを受け取って、それに応えていくというのが、本当のコミュニケーションであり、カウンセリングの基本ではないでしょうか。
相づちにしろ、繰り返しにしろ、自分の意見を言うにしろ、クライエントがそうして欲しいという気持ちが感じられたときに、そうするというのが本当でしょう。「オーム返しをして欲しいとクライエントが思ったときにオーム返しをする」というのが冒頭の疑問の答えですが、それがどうしてわかるのかという新たな疑問が湧いてきます。それはクライエントのバーバル、ノンバーバルのあらゆるメッセージを受け止めてカウンセラーが何かを感じ、オーム返しをしたくなったときと言うしかありません。それはカウンセラーのセンスの問題になりますが、少なくとも、それはオーム返しをしなければならないという思いであったり、こういうときにはオーム返しをするものだという思い込みであったり、硬直した考えでオーム返しをしていることとはまったく違います。(佐々木)
|
|
〜20号 〜30号 〜40号 〜50号 〜60号 〜70号 〜80号
〜90号 〜100号
〜110号 〜120号 〜130号 〜140号 〜150号 〜160号 〜170号
|