心意雑感 

サイコロネットメールマガジンに掲載された、心に関する雑感です。

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No81〜No90

「心のエネルギー論7
うつ病について考える6」      平成16年5月3日 第81号に掲載

 それでは、「うつ病でカウンセリングを受けたいのですが...」という問いに対する医師としての回答がどのようになっていたらよいのでしょうか。私は、前回問題とした部分が次のようになっていれば、より多くの患者さんを救うことができるのではないかと考えています。

 「うつ病の治療には薬物療法と休養が重要ですが、心の癒しにつながるカウンセリングも効果があります。ただ、治療初期には行動の変容や洞察を目指すカウンセリングは負担が大きいので、じっくりと話しを聴いてくれる傾聴を主体としたカウンセリングを受けるとよいでしょう。(中略)日常抱えている問題についても相談したいし、将来についての不安にも耳を傾けて欲しいという気持ちからカウンセリングを受けたいと考えるのは当然のことです。主治医はできるだけ患者さんの気持ちを受け止めようとすると思いますが、傾聴技術の面と時間的な余裕から十分応えることができないかもしれません。このように思われたら、ぜひカウンセリングを受けて心の重荷を下ろしてください。」

 医師はどうしても自分ができる薬物療法に偏って勧めようとしますし、カウンセラーやセラピストは自分ができるカウンセリングや心理療法を勧めようとします。しかしながら、本当にうつ病の方々の立場に立ったとき、薬物療法あるいは心理療法という治療レベルを中心に考えるのではなく、一段上のエネルギーレベルを上げるという観点から考える必要があるのではないでしょうか。この観点から、医師の立場からの回答に補足を加え、エネルギー論の立場から、再度「うつ病でカウンセリングを受けたいのですが...」という問いに対して回答したいと思います。

 「うつ病の治療には心のエネルギーレベルを上げることが必要です。そのためには薬物療法と心理療法と休養が重要です。エネルギーレベルが極端に下がっている治療初期には、行動の変容や洞察を目指す心理療法は負担が大きいので、じっくりと話しを聴いてくれる傾聴を主体としたカウンセリングを受けるとよいでしょう。休養を十分とり、薬物療法とカウンセリングの効果が現れて、エネルギーレベルが上がってきてから、行動の変容や洞察を目指す心理療法をおこなうとよいでしょう。

 日常抱えている問題についても相談したいし、将来についての不安にも耳を傾けて欲しいという気持ちからカウンセリングを受けたいと考えるのは当然のことです。医師は、傾聴技術の面と時間的な余裕からこれらの期待に十分応えることはできませんので、このように思われたらぜひカウンセリングを受けて心の重荷を下ろしてください。また、人によっては医師の質問やアドバイスを負担に感じ、エネルギーレベルがさらに下がってしまうことがあります。このような場合にもカウンセリングを受けて、落ち込んだ心を癒やす必要があります。良心的な病院であれば、治療の中にカウンセリングを組み込んであったり、別なカウンセラーを紹介してくれるはずです。」

 これがうつ病治療に対するカウンセリングと心理療法の立場です。ここで、カウンセリングと心理療法の区分けがはっきりと必要になります。もともとカウンセリングや心理療法(セラピー)の定義はあいまいなのですが、傾聴を主体とするものをカウンセリングと呼び、行動変容や洞察を目指すものを心理療法(セラピー)と呼んで、区別して考えなければならないのです。(佐々木)


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「心のエネルギー論8 
うつ病について考える7」      平成16年5月18日 第82号に掲載

 重症患者も含めたうつ病の方々の治療方法をエネルギー論的に考えると、どうなるでしょうか。基本的には、心のエネルギーを増やして、それ以上減らさないようにすればよいのですが、その方法はうつ病の方々のエネルギーレベルに応じて変わってきます。一般的には、うつ病の治療には薬物療法と心理療法があり、休養も大事であるとされています。さらに家族の対応も大事だと考えている人もいます。これらがエネルギーレベルを上げることにどう関わっているか考えてみましょう。

 薬物療法は、抗うつ剤が脳神経の伝達物質の減少という機能障害に有効に働きます。エネルギーレベルを上げるためのハードを正常にもどすという意味で効果があるのです。しかし、抗うつ剤は脳機能に障害のないうつ病に対しては無効ですし、心の原因まで解消するわけではありません。抗不安薬や睡眠薬は、心理的・肉体的な苦痛を軽減しますので、エネルギーレベルの低下を防ぐ働きがあります。

 心理療法は、認知の歪み・自己不一致・不適応など、さまざまなとらえ方をされている心の原因を解消しようとするもので、これがうまくいけば、自分自身でエネルギーを作り出すことができるようになり、心のエネルギーの回復力が高まります。再びうつ病にならない、強い体質を作る根本的な治療方法です。ただし、機能障害を直接治すわけではありませんので、この部分は薬物療法に任せる方が合理的です。

 休養というのは、仕事や学校などを長期間休んで自宅で静養するということですが、仕事や学校などの社会的活動は大きなエネルギーを消費しますので、エネルギー消費を抑えるという意味で重要です。仕事上のプレッシャー、学力・進路の問題、人間関係などが原因となって大きなエネルギーが失われ、うつ病になってしまうことがあるわけですから、原因を取り除くという意味でも大きなことです。

 家族の対応が大事だというのは、家族がうつ病の方のエネルギーを奪ってしまうという現実があるからです。家族との関係も一つの社会的な関わりであり、いくら会社や学校を休んでも、家庭の不和や家族のうつ病に対する認識不足からエネルギーを奪われてしまうことがあるのです。逆に、家族がエネルギーを与えるような対応がとれれば、カウンセラーよりももっと優れた援助者になり得るのです。うつ病の方が薬物療法と心理療法という治療を受けたいという気持ちになり、休養をゆっくりと取れるというのは、家族の対応次第だと言っても過言ではありません。

 これらのすべてが満足できれば申し分ないのですが、現実にはさまざまな理由によりこれらの一部あるいは全部が満たされず、うつ病が良くならないということが起こります。それでは、治療を受けても良くならないというのは、どういうことなのでしょうか。

 それは、本人の自然治癒力と治療によるエネルギーのレベルアップ以上のエネルギーが外部から奪われているということにほかなりません。外部から奪われているエネルギーをくい止めない限り、エネルギーをレベルアップさせることは望めません。休養については、エネルギーレベルが極端に下がれば、自然に活動できなくなりますので、よほどのことがない限り、問題はないと言えます。

 問題なのは、家族との関係です。家族とうまくいっていなければ、それだけで致命的なエネルギーのロスになりかねません。特に、エネルギーレベルが最低ラインまで下がってしまうと、エネルギーを失うことに非常に敏感になり、今までは平気だった対応によっても傷つき、エネルギーをさらに失うことになってしまいます。それは医師やカウンセラーの対応によっても傷つき、エネルギーを失ってしまうことも意味します。従って、エネルギーレベルの低い重症患者には、それなりの対応がなされなければならないのです。

 エネルギーレベルの低い重症患者は、家族によって傷つけられ、場合によっては、医師やカウンセラーからも傷つけられ、休まるところがないのです。これでは、治るはずがありません。(佐々木)
 


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「心のエネルギー論9
うつ病について考える8」      平成16年6月3日 第83号に掲載

 心のエネルギーについては、書けば書くほど、さらに展開したくなってしまうのですが、心意雑感のスペースを使うには、逆にちょっと足りないのではないかという気持ちもあります。そこで、別途メルマガを発行して興味のある方のみお読みいただこうと考えています。最後に、心のエネルギーという考え方から得られるうつ病治療のポイントについてまとめ、一旦終わりにしたいと思います。

 うつ病は、心のエネルギーレベルが下がることによって起こります。従って、その治療法はエネルギーレベルを上げることです。つまり、エネルギーレベルを下げている要因を取り除くこと、外部からエネルギーを入れること、自然治癒力を取り戻し自分自身でエネルギーを作り出せるようにすることです。

 エネルギーレベルを下げる要因を取り除くためには、休養ということが必要になります。ストレスが多い仕事や学校、あるいは人間関係を避け、回復するまでエネルギーを使うことをなるべく避けることです。家族から大きなストレスを受けている場合には悪くなりがちです。家族の対応方法を改善することが求められるのですが、家族の協力が得られず、大きなストレスの元となっている場合には、入院という方法も必要になります。休養をとらずに次の対策をしても、エネルギーがなかなか溜まりませんので、回復にはより時間がかかってしまいます。

 外部からエネルギーを入れるということは、外部の働きかけによって、一時的に本人のエネルギーレベルが上がるということです。友人・家族の支え、傾聴を主体としたカウンセリングなどで得られます。実際には、友人や家族が否定・アドバイス・励ましなどのエネルギーを奪う対応をしがちで、なかなかエネルギーを与えるところまでいかないことがあります。

 ある程度のエネルギーが溜まりませんと、病院へ行ったりカウンセリングを受けるパワーも出ませんので、外部からエネルギーを与えるということはとても大切です。友人や家族の支えだけでは足りない場合、期待できない場合は、いのちの電話などの電話相談やメールカウンセリングなどを利用して、エネルギーをもらうという方法もあります。

 自然治癒力を取り戻し自分自身でエネルギーを作り出せるようにするためには、薬物療法と心理療法が必要です。薬物療法は、脳を含めた肉体の機能を正常に戻し、不快な症状を一時的に抑えるために必要です。健全な心は健全な肉体に宿るという意味で、肉体に異常がある場合には、まず肉体レベルでの回復をはかることが必要です。

 再びうつ病を起こさない自然治癒力を取り戻すための根本的な治療は、心理療法です。エネルギーの流れを滞らせている自分自身の心を変えて、自分自身でエネルギーレベルを高められるようにします。心理療法には様々な技法がありますが、うつ病治療には認知行動療法が一般的です。ただ、この技法は大きなエネルギーを必要としますので、そのままではエネルギーレベルが極端に低い人におこなうのは難しいので、このような場合、私はソリューション・フォーカスト・アプローチやフォーカシングなど、他の技法と組み合わせて使用しています。

 病院で治療を受けるにしても、カウンセリングを受けるにしても、これも人間関係です。この関係でエネルギーを奪われることがあり得るということ、逆に、友人や家族との関係であっても、エネルギーを与えられ治療になり得るということを最後に付け加えておきます。要はエネルギーレベルが上がればいいのです。(佐々木)
 


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「カウンセリングの敷居」     平成16年6月19日 第84号に掲載

 カウンセリングの敷居の高さについて、日頃から何とかしたいなと考えていましたが、今回サイコロネットでおこなった一般の方々を対象にしたアンケートで敷居の高さについて指摘するご意見をたくさん頂戴し、一般の方々がどのような敷居を感じているのかを知ることができました。

 敷居の高さとは、カウンセリングを受けることを躊躇させる障害のことですが、
この敷居の高さは大きく三つに分けることができます。カウンセリングというものを理解していないために生じる漠然とした不安、料金が高い・近くにないといった物理的な問題、実際にカウンセリングを受けて、カウンセラーに問題があるということです。

 カウンセリングというものを理解していないために生じる漠然とした不安というのは、カウンセリングとはこういうものだという思いこみによって生まれる誤解がほとんどです。「何をされるかわからない」、「宗教っぽくて怖い」、「なんとなく近寄り難い」、「言葉自体にうさんくささがただよっている」、「精神的に何らかの問題がある人が受けるような印象がある」など、何か洗脳のようなことをされるのではないか、精神異常者におこなう技法なのではないかという思いこみが不安感を生んでいるようです。カウンセリングを受けるということは精神的に弱いというレッテルを周囲から貼られることで、企業の中などではマイナス評価となるという不安もあります。

 「悩みごとを型にはめて解決してしまいそうな気がする」、「正しいアドバイス等してもらえるか不安」、「受けることによって飛躍的に変わるのか疑問」、「少しの間話を聞いただけでその人の持つ悩みがわかるはずがない」など、技術的に信用できないというものもあります。また、「自分が上手く話せるかどうか分からないので不安がある」、「そう簡単に自分の内なるものを打ち明けられない」など、自分に対する決めつけもあります。

 物理的な問題は、「料金が高いのだけが気になる」「一体何処で、どんなふうにやっているのかがわからない」ということに代表されるように、信用できるカウンセラーがどこにいるのかわからない、料金が高すぎるということを多くの人が感じているようです。

 カウンセラーに問題ありとする意見は、「先生をあまり信じられず結局精神的に疲れただけで帰った。先生はどんな気持ちでカウンセリングをしていたのか」、「過去の事から話さなくてはいけなかったので、けっこう負担だった」、「よく話を聞いてくれる先生はあまりいない」、「詐欺まがいのところもあったりして、信頼できるところがわからない」、「マスコミに取り上げられるセラピーと名の付く団体はマイナスイメージしか与えていない」、「聴いているばかりで、頼りにならない。時間がかかり過ぎて解決につながらない」、「カウンセラーの一部には人格的に信用できない人がいる」、「精神科に行って全然話を聞いてくれなかった事があったので、二の舞になると傷つきそうで怖い」、「行政機関の医師にカウンセリングしてもらったが、二回目に行ったら、私は忙しいんですよと露骨に言われた」など、実際にカウンセラーや医師に不快な思いをさせられ、それが不信感を生んでいるようです。

 日頃感じていることだけに、これら一般の方々のご意見を非常に重く受け止めました。サイコロネットは、実は、これらの敷居を低くするというために、活動をおこなっているのです。まだまだ力不足ですが、目標も明確になってきましたので、一つひとつできることから取り組んでいきたいと思います。(佐々木)


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「ネットの危険性とエンカウンター」  平成16年7月3日 第85号に掲載

 長崎県佐世保の少女殺害事件は、子供たちのインターネット社会への関わりとその危険性を浮き彫りにし、様々なメディアでもとりあげられ、コメントされています。サイコロネットでもメールカウンセリングや掲示板によるコミニュケーションをはかっており、インターネットコミニュケーションの危険性については無関心ではいられません。

 インターネットコミニュケーションの特徴には匿名性と手軽さがあげられますが、それ故本音が出しやすくなり、本音としての攻撃性も出やすくなります。チャットや掲示板では相手を非難したり、中傷したりする行為が起こることがありますが、放っておけばどんどんエスカレートして中傷合戦になりかねません。ネット上では、非難や中傷という攻撃によってどれだけ相手がダメージを受けているかがわかりにくいので、エスカレートしやすいのです。サイコロネットの掲示板では、他人の誹謗中傷は禁止しており、もしこれらがおこなわれれば、管理人が介入して秩序を保つようにしています。このようであればまず大きな事件に発展することはないでしょう。これが普通の考え方です。

 ところが、本音としての攻撃性を認める場があります。それがエンカウンターです。もちろん相手を攻撃すること自体を目的としているわけではなく、あくまでも相手を攻撃したいという気持ちを持っている自分に気づくこと、攻撃されて傷ついている自分に気づくことが目的です。従って、相手を非難するような場面があったとき、ファシリテータはすぐにストップをかけてしまうのではなく、相手を攻撃することから相手を攻撃したいという自分自身の怒りに目を向けさせようと介入するのです。これがうまくいけば、他人を傷つけ、他人から傷つけられる自分に気づき、他人を傷つけず、他人から傷つけられない自分というものに気づいていくでしょう。

 同じ悩みを持つ人たちの自助グループというものがあります。ネット上でも自助グループは掲示板やチャットを利用して、お互いに悩みを打ち明け合い、支え合っており、とても有意義なものだと思います。ただ、傷つきやすい人たちも参加している場合があり、ちょっとした発言にも傷ついている可能性があります。「良くなっている」という誰かの発言で、良くなっていない自分を責めてしまう人も中にはいるのです。誰かがフォローして傷ついている人を勇気づけてくれればいいのですが、悩みを抱えた人にはその余裕がないかもしれません。このようなグループにファシリテータが参加し、エンカウンターのような介入をおこなうと、グループカウンセリングということになります。カウンセラーがファシリテータとして参加するこのようなシステムのグループは、自助グループの欠点を補うもので、ぜひこれから作りたいと思っています。(佐々木)


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 「医療の現実」          平成16年7月18日 第86号に掲載

 先日、別居している83歳になる母が倒れて動けなくなったというので飛んでいったのですが、高齢なだけにとても心配でした。そのときはしばらく寝ていて起きあがれるまでに回復したのですが、数日後また具合が悪くなって、今度は体中が痛くて、起きあがることができないというので、また飛んでいきました。一人ではトイレにも行けず、見るからに入院が必要な状態だったので、救急車を呼ぼうと思ったのですが、本人が躊躇するので、それでは私の車で行って入院しようということになりました。近くに、救急病院があるので入院できるかどうか問い合わせてみると、本人が希望したから入院できるというわけではなく、医師が入院を認めなければ入院できないとのことでした。私は部屋が空いていれば入院できるものと思い込んでいたのです。そこで、とりあえず外来で診察を受けに行ったのですが...

 私は付き添いということでそばにいて、本人と医師とのやりとりを聞いていたのですが、本人が症状を訴えて入院したいと言うと、医師は「わがままでは入院できません。検査の結果、異常があって入院が必要であれば認めます。」と、ぴしゃり。つらい状況は聞くのですが、つらい気持ちはまったく受け止めようとしていないのです。状況の聞き方も、尋問しているようで、これでは医師に傷つけられたという人がいてもおかしくないなと思いました。

 血液検査の結果、炎症の反応が異常ということで即入院ということになったのですが、患者の訴えよりもデータが異常だから入院させるということのようでした。患者の苦しみを取り除くということよりも、データの異常値を正常にもどすということが医療の目的だというように感じられました。でも、もし異常値が見つからなかったらどうしたのでしょうか。「あなたには異常が見つかりませんでしたから、入院の必要はありません」とでも言うのでしょうか。

 日本ではペイン・クリニックやホスピスが非常に少ないのですが、医療の分野に患者の気持ちを大切にしようという考え方が根底から欠如していることの表れでしょう。ただ、医師の数、病院の数も過剰気味になっていますので、これからはただ病気を治せばいいというだけではなく、いかに患者を快適にするかというサービスもどんどん必要になってくるでしょう。そのなかには、当然患者の気持ちを大切にするということも含まれるはずです。そういえば、病室が空いていてすぐに入院できたということは、人気がない病院だということも言えるのでしょう。人気のある病院は入院するにも何日も待たなければならないそうですから。

 幸いにして、MRIやX線の検査の結果は異常がなく、点滴治療のみで回復し、母は5日後に退院できました。(佐々木)


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「適応障害」            平成16年8月4日 第87号に掲載

 皇太子妃雅子さまの病名が「適応障害」であるとの報道がなされ、一躍「適応障害」が有名になりましたが、「うつ病」という病名はよく聞くのに、「適応障害」というのはあまりなじみがありませんでした。うつ病とは何が違うのだろうという疑問が生まれたので、さっそく、DSM-4で調べてみました。DSM-4というのは、米国精神医学会が発行している「精神疾患と診断の手引き」で、心の病気の診断には欠かせないものです。

 DSM-4によると、確かに適応障害はうつ病とは異なる分類にありました。うつ病は気分障害の中のうつ病性障害に分類され、適応障害は気分障害と並んで分類されています。DSM-4による適応障害の説明を抜粋し、まとめてみると次のようになります。

・はっきりと確認できるストレス因子に反応して、そのストレス因子の始まりから3ヶ月以内に、情緒面または行動面に症状が現れる。
・社会的または職業的(学業上の)機能の著しい障害。
・そのストレス因子がひとたび終結すると、症状がその後さらに6ヶ月以上持続することはない。
・症状は、抑うつ気分、不安、行為の障害など。

 症状はうつ病と似通っているものの、特定のストレス因子が原因であり、その因子がなくなればひとりでに治ってしまうというのが特徴です。これは、うつ病の軽いものというわけではありません。心のエネルギー論的に言えば、79号で説明した、心のエネルギーを十分作り出せる人がたまたま大きなストレスの中で、一時的に心のエネルギーが失われてしまっている状態です。尋常ではないストレスと感じられるものが、継続して続いているということは、私が言うまでもないことでしょう。

 対処法として、薬物療法と精神療法が行われており、精神療法としては環境調整と話しをすることによって心のエネルギーを蓄えるというようなことが報道されていたように思います。薬物療法は抑うつ気分や不安の緩和に役立ちます。環境調整は、ストレス因子そのものを減らそうという試みで、もともとこのストレス因子さえなければ治ってしまうのですから、特に重要です。プレッシャーをどのように軽減するかが焦点ですね。話しをする云々は、いわゆる話しを聴くことを中心にしたカウンセリングのことです。これらはストレスの原因を取り除き、心にエネルギーを与えるということで適切な治療法だと言えます。

 ちなみに、精神療法というのは医学用語で、心理学の世界では心理療法ということばを使います。やっていることは同じなのですが、バックボーンが精神医学か心理学かという違いがあります。(佐々木)


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「べき思考」          平成16年8月18日 第88号に掲載

 歪んだマイナス思考の一つに「べき思考」というのがあります。○○すべきである、すべきでない、ねばならない、などという強い強制を課すという考え方です。このべき思考が強過ぎると、ちょっとしたできごとでも不快な感情を作り出して、ストレスを大きくしてしまいます。もちろん、べき思考は誰でも持っているもので、価値観や人生観などの自分自身の絶対的な信念を作り上げ、守っているものです。

 ではなぜ、べき思考が嫌な感情を生み出してしまうのでしょうか?論理的に矛盾があるからというのがその答えでしょう。強い強制と言えば、法律がそうです。法律の条文は、それぞれの法律に矛盾があっては成り立ちません。矛盾があればどちらかの法律を無視しなければならないことがおこります。このとき、法律を無視したからと言って罰せられてしまうのと同じなのです。べき思考に従っているつもりが、他のべき思考を破ってしまい、このとき不快な感情が起こるのです。その強制力が強ければ強いほど、破られたときのショックは大きいはずです。

 たとえば、「大事な会議には絶対遅刻すべきではない」というべき思考を持っている人がいるとします。どんなに会議が大事であろうが、それとは無関係に遅刻せざるを得ない状況が起こり得ます。交通機関が遅れたり、急病になってしまったりと、どうにもならない状況に対して強制しているという矛盾があります。このような人は同時に「すべきでないことをした人は罰せられるべきである」などというべき思考も持っているはずですから、遅刻した人に対しては腹を立て、自分が遅刻した場合にも自責の念に陥ってしまうのです。

 さらに、「家族は大切にすべきである」などというべき思考を同時に持っていると、家族に不慮の事故があったり、病気になって看病の必要があったとき、どちらを取るべきかで悩むことになり、どちらにしても自責の念にかられてしまいます。べき思考同士がバッティングしているわけですから、どちらかのべき思考が否定されてしまうのです。強制する力が強ければ強いほど、葛藤が大きくなってしまうのです。

 べき思考は、他人に対しては「して欲しい」という願望、自分に対しては「するに越したことはない」などという柔軟な思考方法に改めると、嫌な感情も起こりにくく、ストレスを減らすことができます。「他人に対しては親切にすべきである」「他人に失礼な態度をとるべきでない」「約束は守るべきだ」「わがままは言うべきでない」など、一見当然とも思える考え方ですが、自分をつらくしがちです。(佐々木)


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「金メダルへの重圧」       平成16年9月3日 第89号に掲載

 今回のアテネオリンピックでは、日本人選手が大活躍し、金メダルを東京オリンピックのときと同じ過去最高の16個も獲得しました。一方、金メダルは確実と言われていた選手たちが金メダルを逃すということも起こりました。金メダルへの重圧、特にオリンピックという特別なイベントの重圧はすさまじいものがあるようです。一生懸命練習して、心も身体も極限まで鍛え上げているはずなのに、なぜ実力が発揮できないということが起こってしまうのでしょうか。

 このメカニズムは、私たちがスポーツの試合や試験の場であがってしまい、普段の実力を発揮できないのと基本的には同じです。初めて何かの試合に出場したときのことを思い出してみてください。その試合に対する期待が大きければ大きいほどあがりかたも激しかったはずです。そのような経験がない人は、初めてジェットコースターに乗ったときのことを思い出してみてください。心臓は高鳴り、脈拍や呼吸は速くなり、手に汗を握り、顔面は蒼白になります。これは一体どういうことなのでしょうか。

 これは、私たちがストレスを受けたときに起こる反応そのものです。このストレス反応は、自然界に生きる動物にとっては、なくてはならないものなのです。生きるか死ぬか、喰うか喰われるかの生活をしている動物にとって、敵の出現は脅威です。いち早く逃げ出すことが必要ですし、逃げられなければ戦って勝たなければなりません。周囲の変化や環境の変化を感じたとき、一瞬のうちにそれが敵であること、つまり自分にとって脅威であることを判断し、逃げたり、戦ったりするための準備をし、生き延びようとすることが、ストレス反応なのです。

 心臓の鼓動を早め、血圧を上昇させて、筋肉と脳に血液を送りやすくします。呼吸を早め酸素を供給しようとし、汗をかいて体温を下げるようあらかじめ準備します。また、毛細血管を収縮させて出血を最少に抑えようとするため、顔面が蒼白になります。さらに、筋肉に血液を送るため胃腸の働きを止めてしまいます。
その他、血液を凝固しやすくしたり、痛みを感じにくくしたりします。これらはアドレナリンやノルアドレナリンといったホルモンの分泌によっておこなわれたり、自律神経系や免疫系を介しておこなわれます。このような仕組みがあったからこそ、人間も自然界の中で生き延びてこられたという歴史があったのです。

 しかしながら、脅威というものがすっかり変わってしまいました。自分を襲ってくる外敵はいなくなり、逃げる必要も戦う必要もほとんどなくなってしまいました。それでも、このストレス反応はしっかりと残っているのです。確かに金メダルを取るということは大きなストレスですが、勝手に血圧が上がったり、脈拍が上がることは、試合という意味においては何の意味もないばかりか、返って害になってしまいます。有益な反応もあるのですが、自分でコントロールできないということが大問題なのです。

 これらのストレス反応は、経験を重ねることで減ってきます。初めてオリンピックに出場するときは、大きなプレッシャーを感じるでしょうけれど、何度もオリンピックや世界大会の出場を経験すれば減ってきます。場慣れということです。もっと積極的に、このような無用なストレス反応をおこさないようにするのが、メンタル・トレーニングです。ストレスの仕組みを理解すると、効果的なメンタル・トレーニングの方法がわかりますが、これについてはまた別な機会に述べたいと思います。(佐々木)


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「プロ野球ストに思う」      平成16年9月22日 第90号に掲載

 9月18日と19日に行われたプロ野球史上初めてというストライキは、マスコミを
にぎわせ、賛否両論たくさんのコメントがあふれていますね。私も30年ほど前、ストライキ全盛の頃の労使交渉の経験を思い出しました。私はプロ野球が好きというわけではないのですが、成り行きについてはとても興味深く感じています。経営側あるいは選手側のどちらの主張に肩を持ちたいかという議論はさておき、コミュニケーションということで興味があるのです。

 労使交渉はコミュニケーションですから、双方が相手の意見に耳を傾け、お互いに相手の本音を理解しあうことにより、妥協点を見つけだせるものですが、実際にはなかなか相手の話を聴くことも、自分が本音を出すことも難しいですね。相手の本音もわからないし、自分の本音もわかってもらえないからストライキという自分自身にも相手にもダメージを与える方法をもってして、主張することが本気であることを示そうとします。とは言っても、駆け引きもありますから、するつもりがないストをしてしまったり、ストをさせないように妥協することもできたのに、機会を失してストに突入させたりすることもあります。

 このような交渉は、お互いの主張の妥当性についての議論と、譲歩するに当たっての感情の処理が問題になりますが、これは、カウンセリングにおける事実を聞くことと、感情を聴くことに対応しているのではないでしょうか。事実を正確に聞くことにより、どこまで譲歩の可能性があるのかもわかってきます。また、感情を聴くことで、こちらの主張も聞いてもらえる可能性が高くなり、譲歩してもらった場合の相手の感情をなだめることに役立ちます。

 これはつまり、アサーティブな主張ということになります。サイコロネットのセミナーでも定番になっているアサーショントレーニングがこのような交渉でも役に立つのです。アサーティブな主張とは、相手も尊重し、自分も尊重した上での自己主張ということです。「一リーグ制は、野球界のためにならないから、そのような主張をするものはやっつけてやる」とか、「選手はそもそも野球をやっていればいいのであり、経営問題に口をはさむべきではない」などという考えはアサーティブではありません。どのような主張をしていようが、そのような主張をしている相手を尊重したうえで、自分の主張を聞いてもらうことが大切なことなのです。相手を攻撃することは、相手の心をますます閉ざしてしまい、問題を解決するどころか、ますます問題をこじらせてしまいます。

 双方がアサーティブであれば、問題は非常に解決しやすくなりますが、実際には、どこまでもアサーティブな態度がとれる人は多くありません。しかしながら、相手が攻撃的な人であっても、アサーティブな態度は非常に有効です。相手の攻撃に巻き込まれてしまうと、攻撃力の強い方が勝ち、負けた方は感情的なしこりが残ってしまいます。アサーティブな態度を貫けば、自分の主張を相手に認めてもらう可能性は高くなりますし、たとえ受け入れてもらえなかったとしても、自分の方に感情的なしこりが残る可能性は少なくなります。

 労使双方にこのようなアサーティブな態度を期待するのですが、どちらがよりアサーティブな態度でコミュニケーションを取ろうとするのか、そこに興味があるのです。個人的な考えで言えば、古い体制は崩してもっと自由な発想があってよいと思っています。(佐々木)



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