心意雑感 

サイコロネットメールマガジンに掲載された、心に関する雑感です。

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No71〜No80

「信じ合う心」          平成15年12月1日 第71号に掲載

 富山県のとある公立中学校で40年以上無監督テスト、文房具などの無人販売がおこなわれており、子供たちに自主自立心が芽生えているということが、少し前のテレビで報道されていました。無監督テストは、テストのとき先生は教室から出ていき、監督者がいない状態でテストがおこなわれます。カンニングをしたい生徒にとっては夢のような状態です。確かに最初はカンニングをする生徒もいたそうですが、何年か続けるうちにカンニングをする生徒は一人もいなくなったというのです。無人販売の方も、だまって持っていってしまう人はまったくいなくなり、無事故の記録日数がどんどん伸びているというのです。

 普通の学校で監督の先生がいてもカンニングは起こることがあるのに、店員が見張っているお店でも万引きが頻繁に起こるのに、どうして富山の中学校ではカンニングやお金を払わずに文房具を持っていってしまうということが起こらないのでしょうか。最初はカンニングも起こったようですし、無人販売でもお金が合わなかったことが頻繁にあったようですから、そのような人が最初からいなかったということではないようです。やはり、そのような環境の中で、カンニングはしない、だまって持っていかないという意識が芽生えているようです。

 ただ監督がいない、店員がいないというだけでは悪いことをする人たちの温床になってしまいますが、富山の中学校では、すべてを生徒にまかせて、問題があれば生徒自らに問題を解決させるということがおこなわれており、これが無監督テストや無人販売にも反映されているということのようです。私は生徒たちを信じる心がそうさせているのではないかと思います。たとえカンニングをしても、お金を払わずに文房具を持っていったとしても、退学処分にするとか罰を与えるということではなく、本人の可能性をどこまでも信じ、その上で、どうしたらそのような行為をしなくなるかを全員で考えさせるということが、してはいけないことをしないという気持ちにさせているのだと思うのです。それは先生が生徒をどこまでも信じることにより、生徒同士が信じ合う心を育んでいるからではないでしょうか。

 全国から不登校生徒・中退生徒を積極的に受け入れている、テレビ番組「ヤンキー母校に帰る」のモデルとなった北海道・北星余市高校では、大麻事件を起こした生徒の処分について「退学させれば問題が解決するのか。諦めたら始まらない。生徒の一生の問題をおろそかにはできない。」との考えから、退学とはせず、謹慎処分として住み込みの牧場手伝いをさせたということですが、このようにどこまでも生徒の可能性を信じる心が生徒にも伝わり、自ら立ち直り、自立へと向かう力を生み出しているのではないでしょうか。(佐々木)


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「耳で見る」            平成15年12月17日 第72号に掲載

 先日テレビ番組で視力障害の方の驚異的な能力を知ることができました。私は今まで全く視力のない人が道を歩けるのは、頭の中に地図のイメージを作っているからだろうぐらいに簡単に考えていたのですが、どうやらもっとすごいようなのです。

 パラリンピックの走り幅跳びで金メダルをとった方が走り幅跳びをする場面があったのですが、その方は視力がまったくないにも関わらず、踏切板を踏み外すことなく飛べるのです。これは踏切板の位置や歩幅などがしっかりとイメージされていて、いつも同じ助走ができるように訓練されているということで、視力が優れている選手でも同じことだろうと思います。ところが、その方は誰かとぶつかることなく道を普通に歩けるし、曲がり角であってもコーナーを確認せずに、しっかりと道の真ん中を歩けるのです。もちろん壁にぶつかることはありませんし、さらにすれ違う人がどんな人かもわかってしまいます。部屋のドアが開いているか閉じているかもわかるのです。

 私は白い杖で壁などの障害物を確認しながら、それに沿って歩いたり、曲がったりするのかと思っていたのですが、その必要はないようなのです。もっとすごかったのは、目の前に出された物体の大きさや形、材質がわかってしまうことでした。さすがに色まではわからないのですが、すごい能力だと思いました。ところが、この能力は視力に障害を持つ人たちの特別な能力というわけではないのです。

 実は、周囲の状況がわかったり、目の前にあるものが何であるかがわかってしまうのは、耳で見ていたからです。私たちは物体からの光の反射を眼で受けて、その情報を脳で処理して物体のイメージを再現し、あたかもそこに物体が存在するかのように感じているのですが、物体からの音の反射を耳で受けて、その情報を脳で処理し物体のイメージを再現することができるのです。ちょうどコウモリが超音波の反射で真っ暗闇でも何にもぶつからずに空を飛べるように。

 瞑想などをしてみればすぐわかるのですが、周囲には普段聞こえていない実に多くの音が満ちあふれています。それらの音は障害物に反射し、耳に届きます。その微妙な変化を感じ取ることで、物体がわかるのです。番組でも、そんなことができるのか、目隠しをして目の前に出された物がどんな物か当てたり、壁にぶつかる手前で止まれるか実験していましたが、出演者はほとんどうまくできていました。そのまま鵜呑みにするわけにもいかないので、本当にできるのかどうか、私もさっそく実験してみました。

 目隠しをして目の前に様々な物を差し出してもらい、音の微妙な変化を感じてみましたが、確かに何かあるという気配が感じられました。少し声を出してみると、声が反射するか通り抜けるかで大きさがわかります。固いか柔らかいかで反射する音が違うこともわかりました。感覚を磨けば確かにこれは耳で見るということもできるはずだということを確信しました。

 私たちが耳で見ることができないのは、もちろん視力というもっと効率のいい能力があるからです。そのため耳で見る必要がないという気持ちが、耳で見ることはできないという思いになり、その能力に蓋をしてしまっているのです。これはあらゆる能力についていえることではないでしょうか。まず、できるはずだと信じることが、能力を開花させる前提条件ではないでしょうか。

 その後、視力障害の人は臭いや温度などあらゆる感覚を使って見ているということがわかりました。また、言葉一つで相手の感情がわかったり、外見が見えないからこそ心が見えるということがあるのだということを視力障害の方々から学びました。人の気持ちをもっとわかりたいと思っている私にとってはとても勉強になったできごとでした。(佐々木)


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「サイコロネットのご紹介」      平成16年1月3日 第73号に掲載

 ちょうど一年前、サイコロネットメールマガジンの発行部数は1,000部を越えたところでしたが、今回の発行部数は約1,500部となりました。サイコロネットの活動についてはホームページでもご紹介していますが、一年間の総括の意味を含めてここでご紹介いたします。

 サイコロネットはちょうど3年前に、カウンセリングやセラピーを勉強している6名の仲間とともに、臨床経験の場を作り、カウンセリングやセラピーを勉強している人たちの力を社会に活かすことを目的に設立しました。(財)日本カウンセリング・センター常任理事の水野明先生に顧問をお願いし、水野先生には毎月カウンセリング学習会の講師もお願いしています。カウンセリング学習会のほかに、初級者向けの実践カウンセリング講座、さまざなセラピーをテーマとして定例研究会を毎月おこなっています。また、昨年は横浜研究会として箱庭ワーク、プレイバックシアターをおこないました。セミナーについては、このメールマガジンでお知らせするほか、携帯メール用マガジン「イベントのお知らせ」でも情報をお知らせしています。セミナーはホームページのお申し込み用フォームまたはメールでお申し込みになれます。これらのセミナーの様子については、ホームページに「イベントの記録」として写真を掲載しています。

 会員数は現在約70名で、このサイコロネットメールマガジンが会報となっています。会員にはセミナーでの会員割引があり、臨床経験の場作りに参加することができます。サイコロネットメールマガジンのバックナンバーはホームページに掲載しており、メールマガジンに掲載された「心意雑感」「用語解説」「Q&A」は別にホームページに掲載してあります。

 サイコロネットでは、メール相談と体験カウンセリングをおこなっており、臨床経験の場として会員に提供しています。メール相談は、昨年は約200件の相談があり、飽和状態となっています。回答者は随時募集しており、メールカウンセラー養成のための添削指導もおこなっています。また、「メールカウンセリング講座」をメールマガジンで配信しています。体験カウンセリングは毎月1回おこなっており、カウンセリング学習会で勉強していただいた会員の方はカウンセラーとして活動することができます。

 サイコロネットこころの相談室では、実際にカウンセリングや各種のセラピー、電話カウンセリング、メールカウンセリングを有料でおこなっています。メール相談、体験カウンセリングで経験を積んでいただいた方には、将来実際にカウンセラーとして活躍していただけるような場にしたいと考えています。これらの実践の場にみなさまもぜひご参加ください。(佐々木)


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「荒れる成人式に思う」         平成16年1月18日 第74号に掲載

 昨年は橋本大二郎知事が、成人式での傍若無人な振る舞いをする新成人に対して激怒し、「出ていけ」と怒鳴って有名になりましたが、今年もあちこちの荒れた成人式の模様が報道されました。中でも伊東市の成人式で、大暴れした新成人6人が市長や教育長に謝罪に訪れたが、市長は騒いだ新成人に対し刑事告訴を含めた強い態度で臨む方針だということに興味を持ちました。川崎市でも新成人の代表に選ばれた学生が、突然演題に土足で駆け上がり、式典を批判するスピーチをおこない、後日市長に対する始末書を提出したが市長は受け取りを拒否したという同じようなケースも報道されました。私が興味を持つのは、新成人だけでなく主催者側の態度にも心の動きが良く現れていて、人間というものを理解する絶好の教材となる点です。

 何十年か前の成人式ではこのように荒れるということはなかったように思いますが、最近荒れる成人式が増えてきたということは、まさに不登校や引きこもりといった社会現象と根を同じにしているのではないでしょうか。主催者側には、傍若無人な振る舞いをするのはほんの一握りの人であって、そのような人を排除すれば問題はおさまるという考え方が見て取れますが、果たしてそうでしょうか。私には、逆に問題をどんどん大きくしていくように思えるのです。

 私は、騒がしい人を怒鳴りつけたり、ルールを破った人を告訴すること自体を反対するものではありませんが、そのような人を理解しようとしない、ひいては新成人全体を理解しようとしない主催者側(社会全体)の態度に疑問を持つのです。考えてみれば、私自身もその昔、市の主催する成人式に出席したのですが、主催者側がしゃべったことなど一つも覚えていませんし、それほど楽しかったという思い出もありません。ただ、一つの節目としての義務感で出席したような感じです。多くの新成人は現在の成人式を批判したいという気持ちも少しは持ちつつ、出席しているのではないでしょうか。

 確かに、マナーを守らないこと、ルールを破ることはいけないことですし、自制力というものも成人としては求められて当然だと思います。だから、ルールを破った人は怒鳴られたとしても罰を受けたとしても当然だと思います。しかしながら、主催者側はこの論理だけを主張し、式典を無事に終わらせるために、自制力のあるおとなしく参加してくれる人を良しとし、暴れる人をダメな人間だというレッテルを貼っているように思えてならないのです。

 ルールを守らなければならないと言っているだけでは犯罪はなくなりません。交通事故を減らすために、泥棒の被害を減らすために、罰則を強化するということもあるのかもしれませんが、自分自身が被害にあわないようにするためには、自己防衛すること、つまり自らが何かを変えるという努力をすることが必要です。成人式の主催者は、青信号の横断歩道を左右をよく見ずに渡って信号無視の車にはねられ、信号無視したお前が悪いと言って、謝っている相手の気持ちを受け入れないというのと同じことをしているのではないでしょうか。

 ルールを無視して暴れた新成人は、幼稚ではあるけれど、自己主張によって体制を批判しているのではないでしょうか。暴れている本人は気づかないのかもしれませんが、そこにはうまく機能していないと感じる社会の一面に対し、何とかしたいという気持ちがあることを汲み取ることができるのではないでしょうか。その気持ちは、かつて反体制の気持ちが一つにまとまって学生運動へと発展していったような、当時の若者とまったく同じような気がするのです。(佐々木)


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「心のエネルギー論1」       平成16年2月3日 第75号に掲載

 私は理科系の勉強を中心にしてきたせいか、心というとりとめのないものを理解するのにエネルギーというような数量化できる概念を取り入れられないかと常々考えてきました。そしてどうやら心のエネルギーを仮定しても良いのではないかと思い至りました。うつ病や神経症などの心の病気を持つ人たちが、カウンセリングやさまざまなセラピー、薬物療法で治ってゆく過程、あるいは治らずに悪くなっていく過程を観察していると、そこには「生きる力」すなわち「心のエネルギー」の増減を感じずにはいられなかったのです。心のエネルギーを仮定すると、今まで見えなかったものが見えてきます。

 心のエネルギーは物理的なエネルギーとして存在しているのではなく、いわゆる気のエネルギーと同じようなものと考えるとわかりやすいかもしれません。私は心を脳の働きと考えていますので、心のエネルギーは脳の働きを左右する条件がエネルギーとなると解釈しますが、心と脳は別だという二元論の考え方の場合、心の奥底からエネルギーが流れ込んでくると解釈しても何ら差し支えありません。本質がどのようなものであれ、エネルギーのように振る舞っているのです。

 私たちは肉体を維持し、活動するためにはエネルギーを必要としますが、同様に、心を維持し、精神的な活動をするために「心のエネルギー」を必要とします。心のエネルギーは常に心へと流れ込んでおり、その量は自分自身の心が調節しています。ちょうど水道の蛇口をひねって水の量を調節しながらタンクに水を溜めているようなものです。心には一定量のエネルギーが蓄えられており、私たちはそのエネルギーを使って精神活動をすることになります。タンクに水が満ちあふれている状態が、生気にあふれている状態ということになります。

 逆に心のエネルギーが減ると、精神活動が不活発になります。愛する者の死などでショックを受けると、何もしたくなくなるのはこのためです。心が健康であれば、心のエネルギーが徐々に流れ込んできますので、しばらくすれば元にもどって、以前と同じように精神活動ができるようになります。ところが、流れ込んでくるエネルギーの量が少ないと、いつまでたっても回復しません。このような状態が続いて脳の神経伝達物質の減少という機能障害が起きるとうつ病ということになります。

 心のエネルギーは、楽しいことをしたり、嬉しいことがあったりすると増えます。逆に、苦しいことをしたり、悲しかったりすると減ります。また、他人から勇気づけられれば増え、勇気くずしを受ければ減ります。このように心のエネルギーは増えたり減ったりしており、自分自身で増減させることもできますし、他人から影響を受けて増減することもあります。カウンセリングやセラピーは、減少した心のエネルギーを増やすためにおこなわれているのですが、実は心のエネルギーを増やすものなら何でも癒しにつながるのです。

 心のエネルギーという概念を持ち込むと、カウンセリングやセラピーの位置づけ、悩みの解決方法、心の病気の治し方も従来とは違う側面が見えてきます。
(佐々木)


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「心のエネルギー論2 
うつ病について考える1」     平成16年2月18日 第76号に掲載

 うつ病は心のエネルギーが減った状態と言われますが、それではもっとつっこんで、エネルギーがどのように減ってうつ病になり、どのように増えてうつ病が回復するのか考えてみましょう。うつ病は心のエネルギーの増減だけで説明できますので、エネルギー論を理解するための格好の材料です。

 うつ病について考える前に、もう少し心のエネルギーの性質について知っておかなければならないことがあります。それは、生きているということだけでも心のエネルギーを消費しているということです。これは肉体の基礎代謝ということに対応しています。そして、何かの精神活動をすれば必ずそれにプラスして心のエネルギーが消費されるのです。考えること、人と話をすること、人と会うこと、人からアドバイスを受けること、人から指摘を受けること、等々、あらゆる活動にエネルギーが必要なのです。そして活動の内容によってエネルギーがどのくらい必要なのかは違うのです。これらの活動に費やされるエネルギーは、健康な人にとって大した量ではない場合であっても、エネルギーレベルが下がってしまった人にとっては無視し得ない量なのです。この点が忘れられているため、治療を受けているにも関わらず良くならないという人がたくさん出てしまうのです。

 うつ病になると、好きなことに興味がなくなったり、人に会うことがおっくうになったりしますが、これは手持ちのエネルギーが少なくなった人が、エネルギーの浪費を抑えるための危険信号なのです。肉体が痛みを感じるのはその状態が肉体にとって良くないというシグナルであり、痛みを避けようとするのは肉体にとって正当な行為です。同様に、心がつらさを感じるのは、心にとってその状態が良くないというシグナルです。うつ病の精神的な症状は、良くない結果のようにとらえられがちですが、実は自分を守るための正当な反応なのです。エネルギーレベルがそれ以上落ち込まないように、精神的な活動を停止して強制的に休養をとっているということなのです。エネルギーが最低レベルまで落ち込むと、生きていくことさえつらいと感じるようになりますが、生きていくことにもエネルギーが必要であれば当然のことなのです。

 さて、健康な人がうつ病になるときには、どのようなことがおこっているのでしょうか。うつ病は一般的には、生育歴、喪失体験などのストレス、脳の機能障害、遺伝などが複雑にからみあって起こると言われています。大きく心因性(原因が心理的なもの)、内因性(脳の変化など生物的なもの)、混合タイプ(心因性と内因性の両方が混ざったもの)に分けられ、治療方法も異なります。このように原因にしても特定が難しいうつ病ですが、心のエネルギー論では実に簡単です。原因は、入って来るエネルギーよりも出て行くエネルギーが多過ぎるということの一点です。エネルギーが残り少なくなって、それ以上のエネルギーレベルの低下を防ぐために、次々に精神活動を停止しているという状態がうつ病だととらえるのです。ですから治療方法も、エネルギーレベルを上げるという観点から考えます。

 もともと健康な人がうつ病になるときには、必ず流れ込んでくるエネルギーの量より、使われてしまうエネルギーの量の方が多くなり、それが継続する状況があります。それは流れ込んでくるエネルギーの減少、または使われてしまうエネルギーの増加、あるいはこの両方によって起こっています。具体的にどんなときに流れ込んでくるエネルギーが減少し、使われてしまうエネルギーが増えるのかを次回お話ししたいと思います。(佐々木)


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「心のエネルギー論3
うつ病について考える2」     平成16年3月3日 第77号に掲載

 心のエネルギーはあらゆる精神活動をするときに使われます。考えたり、感じたりしているときにも使われます。生きているだけでもある程度のエネルギーが
必要なのです。これは肉体の基礎代謝に相当するものです。そして活発な精神活動をすれば、それだけエネルギーを消費します。不快感、つまり、悲しみ、怒り、不安などのマイナスの感情を感じたときには、自分を守るために大きな精神活動をしますから、たくさんのエネルギーを消費します。その不快感が大きければ大きいほど、たくさんのエネルギーを消費するのです。

 健康な状態であれば、消費されたエネルギーは短期間のうちに元にもどるような仕組みになっています。これは自分自身を保つためのホメオスタシス(自己恒常性)です。ところが、心が不健康な状態ですと、流れ込んでくるエネルギーが制限されてしまうのです。そのために、エネルギーを一度にたくさん消費すると、回復までに時間がかかってしまうのです。

 エネルギーの流れを阻害するものの一つが、不快感の記憶です。実際に不快な状態がおこったときにエネルギーは大きく失われますが、エネルギーが失われるのはそのときだけではありません。不快なできごとを思い出して、不快感を味わうたびにエネルギーは失われていきます。これを無理に抑圧しても、不快なできごととして記憶しているあいだは、エネルギーを無駄に消費し続けてしまいます。ちょうど、借金の利息を払い続けるようなものです。つまり、心に傷があったり、不安な感情や恨みの感情を抱えていると、常にエネルギーを浪費し続けてしまい、回復を遅らせることになるのです。

 そして、不快なできごとをどう受け止めるかということが、エネルギーの消費量に大きくかかわってきます。不快感を強めるような認知の歪みがあると、消費量は大きくなります。逆に建設的なプラス思考で受け止められれば、消費量を少なく抑えることができます。認知の歪みは一種の心のフィルターであり、流れ込んでくるエネルギーも制限してしまいます。

 身体の異常も直接的、間接的に心のエネルギーレベル低下をもたらします。心は脳の働きですから、脳の機能障害で心の働きが悪くなり、心のエネルギーの減少をもたらします。うつ病の原因としては脳細胞のさまざまな神経伝達物質の減少が考えられていますが、事故などによる脳の物理的損傷や老化なども原因となり得ます。間接的には、肉体的な病気になれば心理的に不快ですから、心のエネルギーが減ってしまいます。身体の異常が心のエネルギーレベルを下げるというだけでなく、心のエネルギーレベルの低下、つまり心の病気も逆に身体の異常をもたらします。心と身体は密接に結びついているのです。(佐々木)


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「心のエネルギー論4 
うつ病について考える3」     平成16年3月18日 第78号に掲載

 心のエネルギーはあらゆる精神活動に伴って消費されます。そして、その精神活動の活発さに比例して大きくなります。ただ、普通の精神活動ではこの量はそれほど大きいものではありません。心が健康な状態では意識する必要がないほどのレベルです。無視できないほど心のエネルギーが大きく失われるのは、不快な感情に伴ってです。その量は不快な感情の大きさに比例します。

 私たちは、嫌なできごとがあったときやショックを受けたときに、エネルギーが大きく失われるのを感じることができます。何もやる気が起きなくなったり、何も感じることができなくなったりします。身内の死や失恋、受験の失敗などはとても大きな不快感を伴いますので、エネルギーも大きく失われ、これがきっかけとなってうつ病が始まることが多くあります。心が健康であれば、一時的に大きくエネルギーが失われても、自然治癒力という形で心のエネルギーはどんどん流れ込んできますので、しばらくたてばエネルギーレベルが回復します。

 ところが、心が不健康で、エネルギーが回復するシステムに異常があると、いつまでも心のエネルギーが少ない状態が続いてしまいます。また、心が健康でも、次々に不快感を伴うできごとが起これば、やはりエネルギーが回復しません。このような状態が続いて、肉体的にも影響が現れるとうつ病ということになります。

 さて、不快な感情を感じたときにエネルギーが失われるのですが、人によってその感じ方はまちまちです。いわゆる認知の歪みがあると、不快な感情を自分自身で大きくしてしまいますので、エネルギーは大きく失われます。また、不快なできごとを思い出して、不快な感情を味わうたびにエネルギーが失われていきますので、このような傾向を持つ人はうつ病になりやすいと言えます。

 ここで一つだけ注意しておかなければならないことがあります。感情を抑圧したらどうなるかということです。感情は、抑圧されても表現されないだけで、しっかりと存在しています。それゆえ、心のエネルギーは失われてしまいます。表面的には不快を感じていないのに、心のエネルギーだけが失われるという現象が起こるのです。

 昇進や新築など、一見喜ぶべき体験がきっかけでうつ病になるケースがありますが、そこにも心のエネルギーが大きく失われる原因がしっかり隠されています。変化に対する不安、責任に対する不安、表面に出なくても不快な感情が隠されているのかもしれません。

 心のエネルギーレベルが下がってしまった人、たとえばうつ病になってしまった人にとっては、わずかなエネルギーの消費も敏感になります。普通では無視しえる精神活動でも、無視しえなくなります。うつ病の人を励ましてはいけないというのは、これが大きくエネルギーを消費させる行為だからです。そのほか、指摘、アドバイス、質問なども無視しえない、エネルギーを消費させる行為となります。うつ病の治療によく使われる、行動療法、認知行動療法などというセラピーもエネルギーを大きく消費させてしまいますから、極端にエネルギーレベルが下がってしまった人に対しては、使わない方が良いのです。(佐々木)


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「心のエネルギー論5
うつ病について考える4」       平成16年4月3日 第79号に掲載

 うつ病は適切な治療を受けた場合、治って再発しない人、一旦は治っても再び再発を繰り返す人、いつまでも治らない人に分けられます。また、治療を受けない人の中には、自然に治ってしまう人、いつまでも治らない人がいます。これらの人をエネルギー論的に考えますと、非常に面白いことがわかります。ここで治るというのは、エネルギーレベルが一定以上に回復するということを意味します。

 まず、治療を受けずに治ってしまう人ですが、自分自身でエネルギーをしっかり作り出せる人、つまり自然治癒力が十分働いている人が、たまたま一時的なストレスなどでうつ状態になったものです。その原因が解消され、家庭や会社でのストレス、すなわちエネルギーが奪われる量よりも、自分自身で作り出すエネルギーが大きければ、自然に治ります。その差が大きければ大きいほど、早く治ることになります。これらの人は、プラス思考をしており、認知の歪みがそれほど大きくないはずです。また、治療を受ければもっと早く治る可能性があります。
●自然治癒力>外部から奪われるエネルギーです。

 治療を受け、治って再発しない人は、治療を受けずに治ってしまう人が治療を受けて、治療を受けない場合よりも早く治ったということです。ただし、治療を受けないで治るとしても、治るまでに普通、数ヶ月〜数年以上かかりますし、治療を受けずに治るか治らないかを事前に知ることは難しいので、治療を受けることは必要なことです。
●自然治癒力≧外部から奪われるエネルギーです。

 治療を受け、治っても再発する人は、基本的に自分自身で作り出すエネルギーが外部から奪われるエネルギーよりも少なくなっています。治療によって一時的にエネルギーレベルが上がりますが、しばらくするとまたエネルギーレベルが下がって再発します。認知の歪みが大きく、自分自身でエネルギーを作り出す力が弱まっていることに加え、家庭や会社などで大きなストレスがかかっているはずです。根本的な治療のためには認知の歪みを治し、自然治癒力を高めるセラピーが必要です。
●自然治癒力┼治療>外部から奪われるエネルギー
 自然治癒力<外部から奪われるエネルギーです。

 適切な治療を受けても治らない人は、自分自身でエネルギーを作り出す力が極端に弱まっており、常に外部からの脅威にさらされています。重症患者として扱われ、特に、医師やカウンセラー自身がエネルギーを奪っていることに気づいていないことが多く、問題だと思います。医師やカウンセラーに不信感を抱き、治療を受けなくなってしまうこともしばしばあります。本人の認知の歪みが大きくこれを治す必要があるのですが、その治療もエネルギーを奪いますので、まず、脅威となっている周囲の環境を改善し、薬物療法は続けながら、エネルギーを十分与える傾聴を主体としたカウンセリングを受けることが必要です。この場合もカウンセラーとの信頼関係を結ぶことが重要です。
●自然治癒力┼治療<外部から奪われるエネルギーです。

 信頼できるデータがあまりないのですが、完治して再発しない人、再発を繰り返す人、治らない人の割合は、ごくおおざっぱに各1/3位ではないでしょうか。医師によるうつ病の本には完治して再発しない人の割合がもっと大きく書かれていますが、黙って病院を変えてしまう人や病院に行かなくなってしまう人も完治に見なされてはいないでしょうか。メール相談、電話相談、面接のカウンセリングでは、しばしば医師やカウンセラーに対する不信感を聞くのに、うつ病の本にそのことを指摘しているものがまずありません。もっとも治療の必要な弱い人が、置き去りにされているというのが現状です。(佐々木)


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「心のエネルギー論6 
うつ病について考える5」   平成16年4月13日 第80号に掲載

 前回説明したように、病院の治療は、一定レベル以上の心のエネルギーを持っている人を対象にしているために、それ以下のレベルまでエネルギーが落ち込んでしまった人は回復させることが難しいのです。

 次の文章は渡辺昌祐著「うつ病と神経症」に書かれている「うつ病でカウンセリングを受けたいのですが...」という問いに対する答えの一節です。医師がこのように考えているからこそ、重症患者を治せないという好例です。

 「うつ病の治療には薬物療法と休養が最も重要であり、とりわけうつ病の初期にはカウンセリングで心理的葛藤をとり除こうとしてもうまくいかず、よけいに混乱することもあります。(中略)日常かかえている問題についても相談したいし、将来についての不安にも耳を傾けて欲しいという気持ちからカウンセリングを受けたいと考えているのであれば主治医にもできることです。主治医があなたの訴えをよく聞き、気持ちを受け止めれば、その時点でカウンセリングが成立したも同然です。」

 前半は確かにその通りなのですが、エネルギーを与えるためのカウンセリングも重要であるということが抜けており、心理的葛藤を取り去るためのカウンセリングとエネルギーを与えるためのカウンセリングが区別されていません。ここで必要なのは、傾聴を主体としたカウンセリングで、洞察を進めたり葛藤を取り去るタイプのカウンセリングではないのです。このように書いてありますと、すべてのカウンセリングが有害であるかのような印象を受けます。

 後半も確かにその通りで、主治医が患者さんの訴えをよく聞き、気持ちを受け止めてくれれば、カウンセリングが成立したも同然でしょう。しかしながら、人の訴えを聞き、気持ちを受け止めることがいかに難しいことであるか、カウンセリングを勉強している人ならばすぐにわかることでしょう。とくにエネルギーレベルが極端に下がって、話をするのもつらいという人の気持ちを受け止めることがどんなに難しいことか...。医師が簡単に人の気持ちを受け止められると言い切ってしまうことに、そら恐ろしささえ感じます。実際にたくさんの人から、医師からひどいことを言われて傷つけられた、話しを全然聞いてもらえない、話しをすることができなかったということを聞いています。

 この質問に対する回答の文章では、「医師は葛藤を取り去るカウンセリングはできなくても、話しを聞き、気持ちを受け止めるカウンセリングはできるので、医師以外のカウンセリングを受ける必要はない。」と言っていますが、医師がカウンセリングをできるということについては、二重に誤りがあります。一つは、よほど傾聴訓練を積まない限り、心のエネルギーレベルが極端に下がった人の話を聴き、気持ちを受け止めるカウンセリングをおこなうことは非常に難しいということです。誰でもできるというものではないのです。それはカウンセラーであっても同じことです。誰でも、他人の訴えを聞き、状況を聞き出すことはできますが、それは心のエネルギーを奪ってしまい、エネルギーを与えるカウンセリングとは言えないのです。

 そして、たとえ一生懸命傾聴訓練を受けて、あるいは現場で研鑽を積んで傾聴能力が身についたとしても、医師が心のエネルギーを与えるカウンセリングをおこなう時間的な余裕はないはずなのです。これは実際に精神科の医師から聞いたことでもあるのですが、自由診療で何万円も取れるならいざしらず、保険診療では一人の患者に何十分もかけてカウンセリングをおこなうことは報酬面からできないのです。たとえ、一回二回はできたとしても、継続してとなるとできるはずがないのです。(佐々木)



 

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