心意雑感 

サイコロネットメールマガジンに掲載された、心に関する雑感です。

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No51〜No60

「男と女」           平成15年2月1日 第51号に掲載

 サイコロネットでおこなわれるセミナーの参加者をみてみますと、女性が非常に多いのに気付きます。会員になられている方も女性が圧倒的に多く、男性は2〜3割しかいません。様々なカウンセリングやセラピーのセミナーでも女性の方が圧倒的に多いし、カウンセリングのクライエントやメール相談の相談者も同じです。これは女性の方が男性より心理学やカウンセリングが好きだということなのでしょうか?

 実は、このような差が現れるのは、男性と女性の大脳の構造に違いがあるかららしいのです。この構造の違いが行動の違いになります。たとえば、ストレスを受けたとき、あなたはどのような行動をとるでしょうか?
一般的には、男性は攻撃的になるか黙り込んで対応しようとし、女性はコミュニケーションによって気分をはらそうとすると言われています。電車の中で大声でわめき散らしている人がいたり、大声で携帯電話でしゃべっている人がいたとき、怒って怒鳴り返したり、注意して喧嘩になってしまうのは決まって男性です。注意できない人は、黙り込んで知らん顔をします。「あんなに大声を出さなくてもいいじゃない!不愉快だわね」と隣の人や仲間に同意を求めるのは決まって女性ですね。もちろん例外はありますが...

 私もつい最近、ある研修グループでこのような体験をし、男と女の違いを実感しました。男である私がストレスを感じて攻撃的になる場面があり、それが他の女性にはストレスとなり、あとで女性同士連絡をとりあっていたらしいのです。何を話していたかは定かではありませんが、おそらくお互いにうっぷんを晴らしていたことでしょう。

 どうやら女性はコミュニケーションを重視するカウンセリングが男性よりも好きだということは言えそうですね。そして、実際に他の人とコミュニケーションがとれるセミナーの場が男性よりも好きだということも言えそうです。井戸端会議で人の悪口を言うというのも、女性にとってはストレス解消になっているのですね。
(佐々木)



 

「心はどこにあるのか」     平成15年2月16日 第52号に掲載

 心と身体の関係については数千年も前から議論されてきました。心は実体があるのだろうか?あるとすればどこにあるのだろうかと。脳、心臓、肝臓などさまざまなところに心はあるという考え方が出されましたが、アリストテレスは心臓に心があると考えたため、その影響を受けて中世ヨーロッパでは長い間心は心臓にあると信じられていました。ハートマーク(心臓の形)が愛情や心を表すのも当然ですね。
 
 現代科学の方法論が生まれると、脳が再び注目されるようになり、さまざまな実験によって脳が心と深い関係を持つことが証明されるようになりました。今では心や意識は脳の働きであることがかなり解明されてきています。

 ところが、魂というものを考えている人たちがいます。身体と魂は別個のものであるという二元論の考え方です。古くから心は身体の中にあるという一元論とこの二元論が対立してきたのです。科学と宗教の対立と言ってもいいかもしれません。心は脳の働きであるということがかなり明らかになった現代でも、魂が脳を介して心を司っているという形で、この二元論は健在です。

 私自身はシンプルに、心は脳の働きであるという一元論の立場に立っています。心は実体がなく、様々な感覚や思考、感情が集まった経験のプロセスであるという考えを受け入れています。意識や無意識は脳の活動であり、この活動が脳全体の活動に影響を与えます。ときには過去の経験(記憶)というプロセスが、脳や身体を思わぬ方向へコントロールしてしまいます。これが心の病気ということですが、これについては別に述べたいと思います。セラピーやカウンセリングにしてもこのセントラル・ドグマをもとに考えてゆきたいと思っています。皆さんは心がどこにあると思いますか?(佐々木)



 

「心のキズ」          平成15年3月1日 第53号に掲載

 病気の原因は病原菌によるもの、環境によるものなど様々考えられますが、病原菌や環境が直接症状に現れるわけではありません。これらがどこかにキズを与えた結果、機能障害が起きて症状が現れます。そこで、自分自身に現れる症状を中心に考えると、どの部分にキズを負っているかによって、病気は大雑把に三つに分類できます。すなわち、身体、遺伝子、心です。

 身体のキズが原因となっている病気には、細菌やウイルスあるいは毒物が体内に侵入して起こるもの、怪我や疲労などの物理作用によるものなどがあります。患部の細胞が死滅したり、変化して身体や臓器の機能障害という形で症状が現れます。投薬や外科手術など、今までの医学が得意としてきて分野です。

 遺伝子にキズがついておこる病気には、先天的に遺伝子に病気の情報が組み込まれて遺伝する小人症やダウン症などや、後から遺伝子にキズがついておこるガンなどがあります。今後の治療法の確立が期待されている分野です。

 さて、心にキズがついておこる病気ですが、うつ病や自律神経失調症など心理療法が有効な分野です。心のキズは目に見えないため、一番やっかいな分野でもあります。心のキズは心に症状が出るだけでなく、身体にも症状が現れます。また、遺伝子にもキズをつける可能性があります。

 ところで心のキズとはいったい何でしょうか。心の定義があいまいだと心のキズそのものもあいまいになってしまいますが、私は心とは脳の働き(の一つ)という立場に立っているので、次のように考えています。すなわち、心のキズとは体験が異常な記憶として脳に固定されるために起こると考えています。私達が生まれてから体験したあらゆるものが脳で処理され、そして記憶されます。見たこと、聞いたこと、感じたこと、考えたこと、やったこと...。そして脳は体験とともに成長あるいは変化しているのです。心のキズとは不都合な状態を呼び起こす、実際に記録された脳の変化ではないかと思うのです。たとえば、私達が怒りや恐怖などマイナス感情を感じたときには、アドレナリンやノルアドレナリンといったホルモンが脳内に分泌されるのですが、そのような分泌メカニズムが異常な形で脳の中に記憶として固定されるというようなことです。

 恐怖症や強迫症も気分の問題ではなく、意志とは関係なくメカニズムとしてそうさせられてしまうのです。うつ病や統合失調症(精神分裂病)も脳内伝達物質の異常が機能障害として現れていますが、やはりその症状は本人の意思ではどうにもならないのです。機能障害の部分は、投薬により治療することができますが、本質的な原因が心のキズであれば心理療法が有効になります。遺伝子のキズが原因になっているのであれば、投薬や心理療法では完全に治すことは難しいかもしれません。(佐々木)



 

「アサーティブということ」   平成15年3月16日 第54号に掲載

 日本人が海外生活で受けるカルチャーショックの一つに自己主張の強さがあげられます。日本人は長い間、国のためや家のために個人が犠牲になるのが当たり前だという教育を受け続けてきたので、犠牲的精神はあるものの、自己主張することについては非常に弱いように感じます。個人レベルから外交レベルまでそれは言えるのではないでしょうか。我慢に我慢を重ね、ついには感情を爆発させるということが何と多いことでしょうか。離婚や子供たちの非行の中にもそれと同じパターンがあるのではないでしょうか。

 「ノーと言える日本」という本が有名になりましたが、それぐらい断るということは難しく、私達はついはっきりと断れずに曖昧にしたり、罪悪感を感じながら断るということになりがちです。ちょうど今、この先何を書こうか考えていたら、本当に投資会社から勧誘の電話がありました。私は「必要ありません」の一言で電話を切ったのですが、みなさんはこのような場合どうしますか。

 本当は切りたいのに、すぐに電話を切ると相手に悪いと思うと、だらだらと相手の話を聞いてしまい、いろいろと断る理由を挙げたりする羽目に陥ってしまいます。相手が知り合いだとなおさら断るのは難しくなりますね。このようなとき、断りたいという自分の気持ちを大切にし、なおかつ断られる相手も尊重して、断れることができると一番良いと思うのです。それがアサーティブな態度です。日本ではそのような態度は必要とされてこなかったのか、該当する言葉がありませんが、「自他ともに尊重して自己主張する態度」のことです。

 カウンセリングでは、ありのままということが大事にされますが、これはありのままの自分を大事にし、ありのままの相手を受け入れるということで、アサーティブな態度とも言えます。特に、怒り、悲しみ、不満などネガティブな感情をもそのまま受け入れるということがとても大切なのです。断るということについて言えば、今、断りたいという気持ちがあるので、その場にふさわしい言葉や態度でその気持ちを相手に伝えるということなのです。ちなみに勧誘を断るのは単なる自己主張でもできます。なぜなら、相手とは今後とも良い関係でいたいという気持ちがないので、この場合は関係を壊すような態度でも、罪悪感さえ感じなければいいからです。(佐々木)



 

「メール版自分を愛するプログラム」   平成15年4月1日 第55号に掲載

 このところメール相談が急増していますが、なかでも抑うつ感や不安感が大きい方の相談が多くなっています。このような方には心理療法を受けていただくのが一番いいのですが、メールによるカウンセリングとメールによる「自分を愛するプログラム」もお勧めし、効果をあげています。抑うつ感があったり、不安感が大きい人は、考え方に偏った癖が共通してみられます。〜すべきだ、〜すべきでないという考え方、相手が悪いことでも自分のせいだと考える、一つ悪いことがあるとすべて悪いと考える、などです。

 認知療法は、これらの偏った考え方の癖に気づき、正しいプラス思考に変えることにより、嫌な感情を減らしてゆく療法ですが、カウンセリングとしてではなく、プログラムとして自分で取り組めるようにしたのが「自分を愛するプログラム」です。セミナーでご紹介していますが、これをさらに細かいステップとして、メールで課題に取り組んでもらうようにしたのが、「メール版自分を愛するプログラム」です。

 嫌な感情が生まれたときには歪んだマイナス思考をしているものですが、そのマイナス思考を見つけだし、どのような現実的なプラス思考に変えたらよいかを考えることがプログラムでおこなわれている一つの課題です。これらの課題に何度も取り組むことにより、嫌なできごとがあっても自然にプラス思考ができるようになるわけです。

 セラピーとしておこなう認知療法はいくら多くても週に1回ですが、メールだともっと頻繁に課題を出すことができて、その都度取り組んでもらえるので、むしろ面接でおこなうより効果的なのではないかと思っています。そして、メールカウンセリングと組み合わせると、具体的な悩みをテーマにした、そのクライエントに合わせたオリジナル・プログラムを作れますのでより効果的だと思います。

 さらに面接より経済的だし、クライエント・カウンセラー共に時間の制約がありません。メールの特長を活かしたカウンセリングの一形態だと思いますので、今後普及させていきたいと思っています。(佐々木)



 

「コンピュータウィルス」       平成15年4月16日 第56号に掲載

 今回は心の話題とはかけ離れますが、みなさんにも関わりが深いコンピュータウィルスについてお話しします。

 コンピュータウィルスは、ご承知だとは思いますが、コンピュータに取り憑いて悪さをするプログラムの一種です。感染するとプログラムやデータを破壊したり、コンピュータの動作がおかしくなったりします。知らないうちに感染し、潜伏、発病し、自己増殖して他のコンピュータにも感染を広げるところから、コンピュータウィルスと呼ばれます。

 基本的にはウィルスに感染したファイル(ウィルスによって強制的に書き換えられたプログラムファイル)を実行することで感染します。メールに添付されてきたファイルを開いたり、インターネットを利用してファイルをダウンロードした際に感染することが多いのですが、最近ではメールを見ただけで感染するケースもあります。

 普通のメールは大丈夫なのですが、HTML形式というホームページを表示させるプログラムを使った形式のメールが問題です。画像を貼り付けたり、文字の大きさや書体を変えることができる形式です。Outolook EXpress(ウィンドウズに付属のメールソフト)では初期状態でこの形式が指定されていることがあり、ときどきこの形式のメールをもらうことがあります。実は私が感染したのもこのHTMLファイルなどに取り憑くHTML.Redlof.Aというウィルスで、ホームページ用の750以上ものファイルが一瞬にして感染してしまいました。

 ウィルス対策として、得体の知れない添付ファイルはむやみに開かない、外国からのメールは開かない、メールソフトのプレビュー機能をオフにする、メールソフトを最新版にバージョンアップするなどが常識ですが、ウィルスは非常に多様化しており、どこから入り込んでくるかわかりません。そして送信者や件名を偽造してメールを送ったりもします。やはりウィルス対策ソフトを導入し、定期的にワクチンデータを更新するということが必要だと思います。インターネット上でもウィルスのチェックができますので、ウィルス対策ソフトを使っていない
方たは利用すると良いでしょう。
http://housecall.antivirus.com/housecall/start_jp.asp

 率直な意見として、ウィルスに感染してしまったときの対応は、初心者では非常に難しいと思います。感染しないよう予防することが非常に大切です。もし感染してしまったら、パソコンに詳しい人の手助けがぜひとも必要だと思います。(佐々木)



 

「メール相談の可能性」    平成15年5月1日 第57号に掲載

 サイコロネットでメール相談を始めてから一年半ほどたちましたが、相談件数もどんどん増えて、たくさんの方々にご利用いただくようになりました。私自身は他の機関でもメール相談の回答担当をしていたので、3年ほどの経験になりますが、ますますメール相談、メールカウンセリングの将来性について期待を抱くようになりました。

 悩みを抱えた人が利用できる相談の方法としては様々なものがあります。メディアを利用した方法に限定すれば、新聞や雑誌の人生相談が古くからありますし、電話相談も盛んにおこなわれています。ホームページやメールを利用した相談はまだ歴史はそれほどないのですが、最近急速に増えています。

 それは他のメディアにはない特長を持っているからにほかなりません。匿名性が高く、手軽に利用できる上、電話相談のようにつながらないということがありません。対人恐怖がある人でも利用できます。一方、回答者の側にもメリットがあります。相談内容によって回答者を選択できること、時間をかけて回答を作成できること、似たような相談の場合、過去の回答が参考になること、などです。

 このように急速に増えているメール相談ですが、気がかりな点もあります。回答者がしっかりカウンセリング技術を身につけたカウンセラーなら大丈夫だと思うのですが、素人でも簡単に始められてしまう点です。「いのちの電話」などの電話相談では、長期にわたる研修と選考がなされていますが、このようなシステムがまだできていないのです。

 メールで相談したら傷つけられるような回答が返ってきた、ということも十分あり得るのです。相談者はそれをフィードバックすることはありませんから、回答者はそれに気づかず、いつまでも同じ愚を犯し続けるでしょう。どのような回答をしたら、相談者を傷つけることがなく、効果をあげることができるのか、みなさんと考えていきたいと思います。

 現在はメール相談の回答添削指導という形で回答者の養成をしていますが、もっと総合的な形での教育も必要かなと思っています。(佐々木)



 

「見られる自己」      平成15年5月16日 第58号に掲載

 私とは何か。心はどのように成り立っているのか。古来より、哲学のテーマとして多くの人が考えてきたことです。私自身も一生懸命に考えてみるのですが、いまだにわかりません。さまざまな心理学が自己の構造について教えてくれますが、いったいどれが本当の自己の構造なのかと思いたくなってしまいます。実のところ、人間を理解するための切り口として、さまざまな自己の構造が方便として考え出されたということではないでしょうか。

 意識と無意識という分け方もありますが、見る自己と見られる自己という考え方もあります。見る自己とは、「我思う、ゆえに我あり」の思う我であり、自分自身をわかろうとしている自己のことです。「見られる自己」とは、他人の目によって作られてきた自己のことです。たまごの殻のように、自己の周りに成長して、自己を守っていると考えることができます。

 私自身は自分の意志で勉強し、自分がこうありたいという自分を作ることを心がけてきましたから、「見る自己」を強く感じます。ところが、不安や落ち込みで悩んでいる人には共通して、他者の目を気にしすぎる傾向があります。「見られる自己」がちょっと強すぎるのです。もちろん、私たちは他人の目を意識するからこそ、おしゃれをしたり、言葉を選んだり、スポーツで頑張ったりするわけですから、現実生活では「見られる自己」もしっかりと役割を持っているのです。

 私たちはしつけという形で親や社会の意向に沿うように「見られる自己」が形づくられていきます。しかしながら、これが強くなりすぎると、他人の言動が気になり、自分の人生が生きられなくなってしまいます。殻として自己を守っている「見られる自己」が強くなりすぎると、「見る自己」の身動きがとれなくなってしまうのです。「見られる自己」が強くなりすぎ「見る自己」と葛藤している状態が強迫神経症です。「見る自己」がやめようと思っても「見られる自己」がどうしてもやってしまうわけです。

 「見られる自己」が強くなり、「見る自己」が弱くなると神経症やうつ病になりやすくなります。統合失調症は逆に、「見られる自己」が弱くなった状態です。「見られる自己」と「見る自己」のバランスがとれていることが健康な心には必要なことです。(佐々木)



 

「メール相談の評価」    平成15年6月1日 第59号に掲載

 メール相談の回答をどのようにおこなったら良いのかは、今のところ理論的な裏付けはありませんので、各自の信じるところによって回答がされているのが実状です。どのような回答が良いのかを評価する場合に、誰が評価するかで三通り考えられます。相談者、回答者、第三者の三通りです。

 もともとメール相談は相談者を援助しようということが根本にあるわけですから、相談者が相談して良かったと感じることが一番重要だと思います。ところが、相談者は返事をしなくてもいいのでメール相談を利用するという特徴があり、実際、相談者からの返事は極めて少ないのです。これは電話相談でも同じです。ときに相談者から反応があって、回答がどうだったかがわかります。

 回答者自身の評価もあります。相談者から返事がなくても、自分自身でよく考えてできたなと思うこともありますし、ちょっとやりすぎたかな、失敗だったかなと思うこともあります。ところが自分自身では良くできたかなと思っても、相談者から回答に対する不満が聞かれることもありますし、失敗したかなと思っても反対にお礼状が来たりすることがあります。自分自身が満足できた回答にお礼状が来ると自信につながります。理想的なパターンですが、めったにそのようなケースがないのが残念です。

 第三者の評価は自分の思いこみを少なくするのに役立ちます。自分では気づかないことを、他の人は気づくことがあるからです。また、発想も違うので、参考になります。最初は他人の評価を気にしがちですが、慣れてくると他人の評価を無視しがちかなというのが自分自身の反省です。

 最終的には回答者が自分自身の信ずるところで、一期一会を大切にするしかないのかなと思います。うまくできてもできなくても、相談者がサイコロネットを選んだという事実を大切にし、相談者との心のふれあいの感じたままをメールで返してあげることが大切ではないかと思っています。(佐々木)



 

「ネット心中」      平成15年6月16日 第60号に掲載

 6月15日の読売新聞に「ネット心中 悲劇の連鎖 とめるつもりが...」という見出しで、インターネットで知り合った人が誘い合い、自殺を図る「ネット心中」が止まらないことを報じていました。今年に入って、少なくても12件のネット心中事件が起こり、30人が死亡しています。

 ネット心中は、自殺系サイトと呼ばれるインターネットのサイトの掲示板に、自殺したい人が一緒に自殺してくれる人の募集の書き込みをして、それに応じた人が数人で一緒に自殺してしまうというものです。自殺の方法は密閉した部屋や車で七輪を使う一酸化炭素中毒死が多く、これは自殺系サイトで方法が詳細に紹介されているためだそうです。自殺者は20代が圧倒的に多く、自己がまだ確立されておらず、「死にたい」ということばを客観視できないため、自分と同一化してしまうことが指摘されています。

 新聞には、自殺したいという人の話を聞いてあげ、なんとか思いとどまらせようと、メールしているうちに、自分自身の悩みが心に重くのしかかるようになり、ともに自殺をはかってしまった人のことも書かれていましたが、心に悩みを持つ人が他人の悩みを受け止めることは非常に危険なことです。

 自分が心の病気を抱えているから、あるいはその病気を克服したから、同じ心の病気を持つ人のことがよく理解できるという理由でカウンセラーになろうと考える人が多くいます。動機としては良いと思いますが、自分自身の心の傷が完全に癒えないうちに他人の悩みを受け止めると、治りかけている自分自身の傷もまた開いてしまいます。自分の悩みは解消しておくこと、自分の手に負えないクライエントには関わらないことが大切です。

 もう一点指摘したいことは、自殺などの悩みに応えるために、いのちの電話やサイコロネットでもやっているメール相談などがあるわけですが、これらを利用できない人が非常に多いのではないかということです。共倒れになってしまうのはもちろんいけませんが、しっかりとカウンセリングを学び、自分自身を癒してから、積極的に悩める人の中に入っていくボランティアの形態もあっていいのではないかと思うのです。もっと一般にカウンセリングが普及して欲しいと願うゆえんです。(佐々木)



 

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