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サイコロネットメールマガジンに掲載された、心に関する雑感です。
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No1〜No10
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「サイコロネットの意義」 H13年5月1日1 第9号に掲載
サイコロネットは、臨床心理の学校に通う仲間達が集まって組織したものです。学校の授業そのものは、最新の臨床心理が学べて有意義でしたが、さて、勉強したものをどのように生かすかとなると、その場がほとんどないのです。学校の授業が終了したからといって、独り立ちできるほどの実力が
付いているわけではなく、さりとて実力を付けるための経験の場となると自分で見つけてくるしかないのです。しかし、福祉関係ならボランティアである程度のことは経験できても、カウンセラーやセラピストにクライエントの斡旋をしてくれるところはほとんどありません。実力のあるセラピストでも十分なクライエントを抱えているわけではないので、当然といえば当然です。
それならば、自分たちでその場を作ってしまおうということで生まれたのがサイコロネットなのです。自分たちがやりたいことを自由に実現できる、そういった会にしたいと思います。今現在は、心理学を勉強している人達を組織しているという段階ですが、これから私たちの力を利用したいという一般の方々にも加わってもらいます。そうなれば、いよいよ本格的な活動の開始です。
セラピーの世界では、需要と供給が全く一致していません。多くのセラピストがクライエント不足で、経済的に恵まれているとは言えません。しかし、心理的なケアを必要としている多くの人々が、セラピストにめぐり会えていないのも、又、事実なのです。一般の企業であれば、商品やサービスを売るためにマーケティングという概念を導入して、売り上げを伸ばす(需要と供給を結びつける)努力をしています。これらのことが全く行われていないのが、この世界なのです。今までのやり方の中で、セラピストやカウンセラーになろうとしても非常な困難が伴います。
サイコロネットがやろうとしていることは、セラピーやカウンセリングなどの臨床心理を学んでいる者が、その力を有料であれ無料であれ提供したいという思いと、有料であれ無料であれそれを利用したいという思いを結びつけることから始まります。そして、単にセラピストにクライエントを斡旋するということにとどまらず、個人がこの人生でやり遂げたいと思っていることを、組織の力で実現させるというところに本当の意義があるのだと思います。
プロになるかならないかは別として、学んだ力を実際に生かすということを個々人が実現することによって、社会的にもセラピーやカウンセリングが認知される方向に向かうのだと考えています。(佐々木)
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「最近の事件に思う」 H13年6月1日 第11号に掲載
最近、ちょっとしたことで暴力を振るい、殺人にまで発展してしまう事件が頻発しています。電車のホームでの暴力、幼児虐待、メル友殺人、通り魔殺人など毎日のように新聞紙上をにぎわしています。犯人の幼児性、行為障害、家庭環境の劣悪さなど色々と原因が指摘されますが、私は、犯人個人の特殊性もさることながら、本当は社会全体の病理から必然的に生まれてくる問題のように思うのです。それは他人との関わり方がわからないということ、すなわち他人との心の触れ合いが少なくなっているために起こる現象のように思うからです。
電車の内でタバコを吸ったり、大声でわめき散らすなど、自分にとって不快な態度をとる人がいたとき、私たちはどのような行動をとるでしょうか。多くの人が身の危険を恐れて見て見ぬ振りをしてしまうのではないでしょうか。そこには、正義感とか勇気以前の問題として、乱暴な人や不快な人とどう関わったらいいかがわからないという不安があるからではないでしょうか。自分より弱いものに対しては、力で抑えつけるということで成功してきた人も、自分より強いものに対しては、逃げるか無視するかしかできないでしょう。正義感の強い人がときに注意をしますが、得てして相手の不当さを攻撃してしまい、喧嘩になるのがおちです。
今日の地域社会の中では、ギャング集団や青年団もなくなり、学校も知識
教育に重点が置かれ、なかなか青年期までに人との関わり方を学ぶという
ことができなくなっているのです。その上、メル友に代表されるような、
表面的な交流が成り立つようになって、ますます本音をさらけ出しての交流
というものが少なくなったように思います。
火災や地震の避難訓練をするのは、いざというときに非難行動がとれるようにしておくためです。それと同じように、いざというとき、他人とうまく関わるためには、そのような訓練が必要です。エンカウンター・グループはまさにそのような訓練の場と言えます。本音を言って相手を傷つけ、本音を言われて自分が傷つくという体験、それがどういう意味を持つのかという気づき、これらの体験を通して、自由に自分を表現し、相手のことも素直に受け入れることができるようになっていくのだと思います。
小泉首相や田中外相あるいは田中長野県知事が今支持されているのは、自分の言葉を使って本音でものを言い、そして本気で行動するということが受け入れられているからではないでしょうか。
私は、このような人と関わることについての勉強の場が、もっと一般に開かれる必要があると思います。サイコロネットがそのために少しでも役に立つことを願っています。(佐々木)
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「最近の事件に思う2」 H13年6月16日 第12号に掲載
多数の児童を殺傷した事件が連日新聞やテレビで報道されており、同じ年頃の小学生を持つ父親として大変痛ましい事件が起こったものだと震かんせざるを得ません。このような事件が起こるたびに感じることですが、学校や社会の対応は、本質的な問題にまで踏み込まず、目先の対処にとらわれ過ぎているのではないかと思うのです。それが、結果的にますますこのような犯罪の発生を助長しているのだということを気づいてもらいたいと思うのです。
たとえば、私の子供が通っている小学校でも、このような事件が起きないように早速対応がなされましたが、それは、父兄に黄色いリボンを配り、用事で学校に行ったときはこのリボンをつける、外来者は受付で記帳して名札をつけるというものです。つまり、リボンや名札がないものは、不審者とみなして排除しようということです。どこの学校も同じように、対策として、学校に関係ない者を締め出し、入れないように監視するというようなことをするのではないでしょうか。
これはある面では必要なことなのかもしれませんが、明らかに開かれた学校とは逆行しています。学校内で事件を起こさせないように対処しているだけで、社会にしわ寄せがくるのです。学校で事件が起こらなくても、道ばたで、電車内で、家庭で事件が起こりやすくなるのです。だから、学校で事件が起こらないようにするだけではなく、社会全体で事件が起こらないようにすることも同時に考えなければならないのです。本来、社会全体で事件が起こらないようにできれば、学校での対策も必要ないことなのです。このままでは、アメリカのような自衛社会にだんだんとなってゆくことでしょう。それは、凶悪犯罪が増えるということを意味します。
今、自殺者が非常に増えていますが、この攻撃性が自分に向かわずに他人に向かえば、今回のような事件になります。どちらも増えて行くのが必然のような仕組みが現在の日本社会にはあります。では、これらの少なかった数十年前と現在は何が違っているのでしょうか。衣食住も関係していると思いますが、最も大きいのは人間関係が希薄になっているということではないでしょうか。
昔の社会では、確かに自由というものが少なかったかもしれませんが、その分心のふれあいが多かったと思います。戦後に与えられた民主主義のはき違えから心のふれあいが段々に少なくなっていったような気がします。責任の伴わない自由が当たり前になり、自由と放任を間違え、都合の悪いものには関わらず無視するという人間としての愛情とはまったく反対の方向へ社会全体が歩んでいっているような気がします。
なぜ援助交際はいけないのか、なぜ人を殺してはいけないのか、それぞれに解答をお持ちだと思いますが、私は人間としての愛情という観点からそれに答えたいと思います。今回のような事件を防ぐのも、人間としての愛情を豊かにするということ以外には解決策はないのだと思っています。
犯罪を犯す人には人格障害、行為障害、精神障害など何らかの障害を持っていることが少なくありませんが、このような傷害を持つ人と自分との違いを理解しつつ決して無視することなく受け入れる、つまり、こういう人に対しても人間としての愛情をもって社会が接することができれば、現在起こっているような問題はずっと少なくなるでしょう。個人としての違いを認めあい、尊重しあうという人間性を小さい時から学ばせる必要があると主張する所以です。
言葉では個人を尊重する、障害者を尊重するというようなことはいくらでも言えますが、実際には、私たちは行動として人を疎外し、無視をするということを平気でやっているのではないでしょうか。そして疎外され無視された(と思っている)人が社会に対して復讐しているというのが、この種の犯罪の実体ではないでしょうか。(佐々木)
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「終戦記念日に思ったこと」 H13年8月16日 第16号に掲載
8月15日、子供達を連れて九段下から科学技術館へ行ったのですが、お昼ちょっと前だったこともあって、靖国神社・武道館へ向かう沢山の人や右翼の街宣車、パトカーに先導された要人の車に出会わせました。否が応でも終戦記念日のことを意識させられました。この一週間は、小泉首相の靖国参拝とそれに対する中国と韓国の反応が盛んに報道されていましたが、ことの善悪や真偽は別として、圧力をかけて相手を自分の都合の良いように操作しようとする魂胆は誰にでもわかるでしょう。教科書問題も外圧に負けたのかどうか、「新しい歴史教科書をつくる会」の採用率が1%程度であったことも記憶に新しいところです。
また、このところ我が子を折檻死させてしまう親がたて続けに逮捕されていますが、これらに共通するのは力によって相手をコントロールしようとしていることです。コントロールがうまくいかなかった場合には、かならず問題が発生しています。だからコントロールの仕方を研究したり、勉強したりというのが、現在の世の中なのです。しかし、相手がある場合には今までうまく行っている方法が、今後もずっと通用するとは限りません。
心の世界もまったく同じです。そもそも私たちは教育という名を借りた強制にしっかりと染まっているのでなかなか気づかないのですが、問題を抱えてカウンセラーに相談に来たという場合、相手をコントロールできない、相手からコントロールされるのが気にくわない、自分自身がどうにもならない(コントロールできない)といった内容が多いのではないでしょうか。そして、これらの解決方法として、人をコントロールすることはできない、人からコントロールされない本来の自分がある、ということを自分自身で悟る(人間として成長する)ということを手助けしているのではないでしょうか。
どんなに正しい有益なことであっても、相手に対する押しつけには注意する必要があります。絶対的に正しいものや有益なものはないという見方もできますが、押しつけそのものが相手の受け入れ態勢を硬化させてしまうからです。相手も良いことだとわかっても、押しつけられれば反発することがありますね。
人間の身体には現状を維持し続けようとする恒常性(ホメオスターシス)がありますが、心も脳の働きである以上まったく同じです。これらの恒常性を超えて相手の不適応な部分を変えるのが、カウンセリングやセラピーの各種技法なのです。このような見方をすると、クライエントとの関わり方にも考えるべき点が浮かび上がってきます。(佐々木)
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「カウンセラーとクライエントの溝を埋めるシステム」 H13年9月16日 第18号に掲載
ADSLを導入して以来プリンタが動かなくなってしまい、自分の手には負えない
と判断、PC相談室に相談することにしました。その結果、原因がわかって復旧
したのですが、「何事も先達はあらまほしきことなり」と思った次第です。
心の世界でも、悩みを自分で乗り越えられれば、その経験は成長へとつながる
のですが、もし自分の手に負えないと思ったら、やはり専門家に相談して欲しい
ものです。カウンセラーに相談すればそれほど苦しい思いをしなくてもいいのに
と思うことがよくあるのですが、実際には多くの人が専門家に相談せず、せいぜ
い素人である友人や親や教師に相談するに留まっているのではないでしょうか。
もちろん、一人で悩むよりずっといいし、これで解決することも多いとは思いま
すが...
悩んでいる人が一人で大きな悩みを抱え込み、カウンセラーに相談に来ないと
いうのは、悩んでいる人の自己責任といって終わらせていいものでしょうか。
結果は本人に表れるとしても、カウンセラーに相談すれば悩みが軽くなるという
ことを情報として知らなければ、ちょっとかわいそうですね。
逆にカウンセラーは、もし相談に来ればそのクライエントの話しは非常によく
聴こうとするけれど、相談に来ないクライエント予備軍(一般の方々)が何を訴
えているのかについてはまったく聴こうとしていません。この声を聴くためには
カウンセリングとは別な能力が必要なようです。従って、カウンセラーの元へク
ライエントが相談に来ないということをカウンセラーだけの責任にするのも酷か
もしれません。結論からいえば、一般の方々にとってカウンセリングは非常に
敷居が高いにもかかわらず、その敷居の高さを埋めるシステムが存在していない
ということなのです。情報提供やアドバイスなら簡単にできるにも関わらず、
ほとんどシステム化されていないのです。
この点、企業の方がやっていると思います。たとえば、このPC相談室がそう
です。パソコンや周辺機器、ソフトなどで困ることがあったら、無料で相談する
ことができます。初級者、中級者、上級者それぞれが質問することもできますし、
回答者になることもできます。有料のサポートというのもありますが、初心者ほ
ど利用しにくいのではないでしょうか。PC相談室は一般の初心者と専門家との
溝を埋めるのに役だっていると思うのですが、いかがでしょうか。
心の世界でもサイコロネットがその溝を埋める試みをしています。無料のメー
ル相談で相談者一人一人の意識をセミナーや無料のカウンセリングへと、そして
セミナーや無料のカウンセリング体験から実際のカウンセリングへと近づける努
力をしています。PC相談室のように企業のバックアップがあるわけではないの
で、PRが十分にできないのは残念ですが、一歩ずつ着実に一人でも多くの人に
活動を知ってもらおうと努力しています。(佐々木)
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「記憶術のすすめ」 H13年10月1日 第19号に掲載
記憶術と聞くと何か胡散臭いものを感じそうですね。学校では教えてくれないし、正式な心理学の範疇にも入っていそうもありません。ただ、特別なノウハウとして通信教育で行われていたり、ハウツー本が出ているだけですね。
みなさんも歴史の年号や英単語を語呂合わせで覚えるということはやっていると思います。これはこれで立派な記憶術ですが、もっと本質的な、記憶を助けるあるいは記憶を妨げるものを減らすということも考えられていいのではないでしょうか。
今回のアメリカのテロ事件に巻き込まれ、奇跡的に助かった人達にはPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされている人たちが沢山います。これらの人たちは強い恐怖心が建物や飛行機と結びついて記憶されたために不安で夜眠れなくなったり、高い建物や飛行機を見ると、実際に足がすくんだり、身体がこわばってしまうのです。このような経験による記憶にからみついた強い不快な感情をひとつひとつ解きほぐし、結びつきを和らげていくのが「癒し」ですね。
それとは反対に、強い感情を仲立ちとしてあるもの同士を結びつけてしまうというのが、私が言う記憶術の原理です。みなさんはすでに経験済みのはずですが、子供の頃のことで記憶に残っているのはどんなことでしょうか。多くは嬉しかったり、悲しかったり、怖かったりと感情や感動を共にしているのではないでしょうか。
これを意識的にイメージの中でおこなうと、記憶が強化されます。記憶術は記憶しようとするものを記憶しやすいものへ置き換えるテクニックと、イメージを使って記憶を強化するテクニックからなっています。後者は一般的な学習法、成功法、イメージトレーニングなどにもつながります。
イメージによって記憶を強化すると、短期記憶を簡単に長期記憶に変えることができるので、反復という方法によるよりも短時間の努力で記憶できるようになります。暗記物にどんなに時間をかけても、それは勉強ではありません。本当の勉強とは暗記は短時間で済ませ、それを自由に使えるように自分の思考の中に組み入れる(理解する)作業に時間をかけることではないでしょうか。(佐々木)
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「景気回復と心の産業」 H13月10月16日 第20号に掲載
景気回復のためには、個人消費を拡大しなければならないということが言われていますが、私たちは一体何を買えばいいのでしょうか。物は作り過ぎで余り放題、もう買うものもなく、小売業は売れなくて四苦八苦しています。私の家の近くには郊外型のホームセンターがたくさんあるのですが、次々につぶれています。そのたびに、大幅ディスカウントの閉店セールがおこなわれて、私も当面必要ない物まで買い込んでいます。外食産業はマックの平日半額や280円の吉野屋の牛丼に代表されるように、生き残りをかけて熾烈な低価格競争に突入しています。ついでに狂牛病騒動も大きく消費を落ち込ませていますね。これでは個人消費が伸びるわけがありません。
ということで、期待されているのが観光や教育などのソフト産業ですが、観光はテロと戦争の影響で極端に落ち込んでいます。教育産業も少子化が足を引っ張っています。まったくもって悪い材料ばかりで期待が持てません。残るのはシルバー産業や心の産業です。21世紀は心の時代だと言われているので、心に関する産業は大いに期待が持てそうです。しかしながら、これは潜在需要があるというだけで、黙っていても消費がどんどん伸びるというものではありません。私たちが心の分野で需要と供給を結びつけるという、消費活動を拡大する行為が期待されているのです。私たちは日本の景気回復の一翼を担うというほどではないにしても、景気回復の要となっている分野のまっただ中にいることは間違いないようです。(佐々木)
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